南アフリカW杯から半年後の2011年の1月に、カタールで行われたアジアカップに出場させていただきました。ザッケローニ監督になって初めてのビックトーナメントでした。日本代表でのことを思い出そうとすると、僕はこの大会くらいしかあまり記憶に残っていません。選手はやはり、試合に出て初めて思い出になるのだなと思います。

アジアカップの代表発表が確か12月の下旬にあり、その2日後くらいだったと思います。僕は、12月25日天皇杯準々決勝の名古屋戦で怪我をしました。足の裏が肉離れのようになり、歩けなくなりました。診断は全治3週間でした。

アジアカップの開幕までは2週間しかありませんでした。開幕までに復帰できなければ、メンバーを変更すると言われていました。僕はいつも、全治はあまり気にしていませんでした。できるか、できないか。というより、耐えられる痛みかどうか。まずはそこまで治そうと考えていました。

開幕の2日前にはフィジカルトレーニングをしなければいけないと言われ、僕は最後の日本代表になるかもしれないと思っていたので、歯を食いしばって痛みを耐えながら、痛くない素振りをしていました。なんとかその日を乗り切った僕は無事、メンバーに入れていただきました。

予選リーグでは出番がなかったので、大会期間中にもだいぶ回復しましたが、体が温まるまではかなり痛みがありました。でも、僕はこのチャンスを逃したくなかったので、怪我で休んだ分のコンディションを戻そうと必死でした。

決勝トーナメントに入ると、1回戦のサウジアラビア戦、準々決勝のカタール戦と途中から出番をいただきました。そして、準決勝の韓国戦では、マヤ(吉田麻也)の出場停止により、スタメンのチャンスをいただきました。僕は万全ではない自分に必要以上に不安を感じていました。自分のペースでサッカーをすることを忘れていました。

しかし、ザックさんは僕を信頼して、決勝のオーストラリア戦の後半の早い時間から使ってくれました。僕は、時間とともに自分のリズムをつかむことができました。最後は僕のためのような展開になり、自分のリズムをつかんでいた僕は、何度でも放り込んでこい、と思っていました。最後に僕がボールを蹴り出した瞬間に試合終了の笛が吹かれたことまで、僕は怪我を堪えてここに来て、まさに「No Pain No Gain」を感じていました。その日は僕の29歳の誕生日でした。

ブラジルW杯は、あのときのメンバーが主力で挑む大会です。あそこからつながるザックジャパンの集大成を、身を乗り出して、応援したいと思います。



昨日の試合は2-1で勝ちました。14節消化して、7勝7分け勝ち点28で2位です。