2011年のナビスコ杯は、震災の影響で日程の見直しがなされ、全て一発勝負になりました。ACLに出ていた僕たちは3つ勝てばタイトルを取れる状況でした。

準々決勝はマリノスとの試合でした。長身選手を揃えたチーム相手にその日、「今日は俺が仕事する日だ。」と意気込んでいました。

その日は雨も降って、激しい肉弾戦になりました。僕はゴール前の接触で、左の太ももを何度も打ってしまいました。それ自体は珍しいことではないのですが、その日は4回も同じポイントに相手の膝や足が入りました。

試合中はアドレナリンが出て、痛みも我慢できたのですが、試合後、ドーピング検査があったので、アイシングをしながら時間を待っていると、だんだん痛みが増した上に、足がどんどん腫れていきました。

その試合は有三(田代有三=ヴィッセル神戸)のゴールで勝ちましたが、僕は診断の結果、1ヶ月後の決勝に間に合わせるのは難しいと言われました。

僕はそれまで、Jリーグと天皇杯は取ったことがありましたが、ナビスコ杯は取ったことがありませんでした。絶対に間に合わせようと、毎日自分を信じて全ての時間を治療に費やしました。

しかし、怪我から10日後、僕の足はまた激痛を発し、みるみる腫れていきました。治療はギリギリのところをいろんな方にお願いして、一か八かでやってもらっていたので再発もしょうがないと思いましたが、ナビスコ杯の決勝に出ることができないことはショックでした。

決勝はサコのゴールでレッズを下し、鹿島は優勝しました。試合後、僕はチームのみんなとピッチ上にいました。僕は複雑な心境でいました。そのとき、オリヴェイラ監督とモトさんが、「マリノス戦の大樹のおかげで優勝できたよ。」と抱擁してくれました。僕は2人に救われました。

次の年、ナビスコ杯連覇を果たす瞬間をピッチで迎えることができました。僕は前日、1年前のことを思い出し、緊張でほとんど寝られませんでした。そのため、コンディションは最悪で両足がつっていました。

試合後、僕は珍しく、名前を呼んでくださったサポーターの皆さんの輪の中に入っていきました。あのときの景色は忘れられません。僕はその景色を見ながら、なんとなく、鹿島での仕事が終わりに近づいていることを感じていました。