人間はある期間を過ぎたら、あとはどうでもいい期間なのか | ミスターおかっちの BLOG

人間はある期間を過ぎたら、あとはどうでもいい期間なのか


最近、野島伸司のドラマにハマっている(というか抜け出せない)。昨日は、鈴木保奈美主演の「この世の果て」を見ていた。お互いを傷つけなければ愛し合えなかった男女の純愛物語。「自己犠牲が愛」と言わんばかりの話の展開に、共感できないシーンも多かったが、仕事そっちのけで最終話まで見入ってしまった。ドラマの中のセリフでとても考えさせられるものがあった。それは僕が子どもの時に、最も受け入れたくない現実だった。

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夫の最後を看取って後追い自殺をした主人公の母親が、遺書にこのようなことを書いていた。「人間はある期間を過ぎたら、あとはどうでもいい期間なのさ」。僕はそんな未来が来ることに、ずっと怯えていたのかもしれない。子どもの時が一番楽しい時。大人になるとやりたいことよりもやるべきことをしなければいけない。社会のお役に立てるように、自分を殺して機械のように働かなければいけない。わがままを言えるのは今だけ。自由なのは今だけ。そんな怖れをずっと持っていたように思う。

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大人になることに希望を持てなかったし、社会で生きていく自信もなかった。だから大人になんかなりたくなかった。ずっと何かに夢中になって、没頭して、本気になって、がむしゃらに生きていたかった。社会の命令に従うだけの生活は嫌で、自分で考えて自分で動いて見たこともないものを発明して、世の中の人を驚かせたかった。しかし、現実は甘くない。社会人になって3年目で、死んだ魚の目をして生きている自分がいた。

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毎日同じことの繰り返し。ノルマを達成してもまた新しいノルマがやってくる。数字で評価されて、僕の主観は置いてけぼり。やるべきことに忙殺される日々。重要なことよりも緊急なことでスケジュールが埋まる。やりたいことはどんどん削られていく。自分らしさが消えて、残った物体は人の形をしたロボット。どこかの誰かが入力したものを、正確にこなす機械。これから先、どうでもいい期間を過ごすのかと、未来に絶望していた。

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いまなら言える。どこかの誰かが書いた脚本でどこかの誰かが決めたキャラクターを演じていれば、自分の人生は自分でコントロールできない。型に嵌められたアリモノの人生になるだろう。それで納得しているのであれば、なんの問題もない。

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しかし、今のこの生活で生きづらさや息苦しさを感じているのであれば、違う選択肢もある。自由にいきたいのであれば、別の道もある。自分でペンを持って自分の人生脚本を描き直すのだ。

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主人公は自分で、役割やキャラも自分で決められる。登場するキャストも自分で選べる。自分の大切な時間を奪う人からは離れたらいい。シナリオも思い通りに決められる。仕事を辞めることもパートナーと別れることも自分で選べるのだ。

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もちろん、その結果、失うものもあるしライフスタイルも変わり、色々なものが大きく動き出すだろう。思いがけないことも起こるだろう。自分が願っていた通りのエンディングを迎えられないかもしれない。しかし、自分の生き様や日常で起こる出来事にどのような意味づけをして、どのようにそれを味わい、どのように未来を描いていくかは自分で決められる。

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My life is My message.
マハトマガンジーが遺した名言だが、死ぬ時にそのように胸を張って言える毎日を過ごしていきたいなぁと改めて思ったっていう話。次はなにを観ようかな?(第一候補は、人間失格)。



#7月22日にみんなで話せるトークイベントをします

 

 

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