教育現場でChatGPTは禁止にすべきか? | ミスターおかっちの BLOG

教育現場でChatGPTは禁止にすべきか?

 

昨日はインスタライブで「これからの時代に必要な能力」について現役の小学生教師と語り合った。僕の答えを思考を停止させていうと、「ライフスキル(非認知能力)」。


ライフスキルとは、自己肯定感、コミュニケーション力、やり抜く力など、目には見えない生きる力。時代がどれだけ変わっても必要な力であると確信して、会社を辞めて、ライフスキルの学校を立ち上げて、ライフスキルを伸ばすための本を書いた。ただ最近、いろんなきっかけがあってそれが揺らいできている。それが「ChatGPTの台頭」と「ルソーの消極教育」だ。


つい最近、自分の子ども三人を東大に行かせた「佐藤ママ」と「ひろゆき」の「ChatGPT」の対談をYouTubeで観た。佐藤ママの主張は、「自分で考える力が育つ13歳くらいまではChat GPTを禁止にすべき」で、ひろゆきの主張は、「ChatGPTを早いうちから触らせたほうがいい」というもの。


そもそも、「禁止にすべきか」「禁止にすべきでないか」という二項対立の議論は、観てる側の暇つぶしにはなっても本質的な議論にはなり得ない。正しく問いを設定するのであれば、「どのような場合において、ChatGPTを禁止にすべきか?活用すべきか?」。そうすれば、「知識の習得を問うような場合や絵を描く場合においては禁止にしよう」などの建設的な意見が出てくるだろう。


どちらが正義であるかを決めるのではなく、できる限り多くの人が納得できる共通了解を見つける「対話」をすることが必要だ。番組では佐藤ママが完膚なきまでにひろゆきに論破されていたが(僕も多くの部分で納得したが)、佐藤ママの主張にも一理あると思った。ルソーが言うところの「消極教育」につながっているからだ。


個性尊重の近代教育に大きく影響を与えたフランスの思想家ルソーが考える「消極教育」とは、何かを無理やりさせたり、教え込んだりすることではなく、子どもの発達段階に応じて、子どもの感覚を育てていく教育の在り方。つまり、何かを大人の側から教え込むということをしない。大人の考えや価値観も押しつけない。子どもに大人になることを求めず、急かさず、比べず、調教しない。


そのような消極的な関わりをすることで、子どもが本来持っている「興味」「好奇心」「欲求」「欲望」に従った行動をさせる。自由に表現させる。その過程で、自分の感情や欲求をコントロールする方法や自分のヨッキュを満たす力を身につけていく。このようなもの。「自然にかえれ(本人が言った言葉ではないが)」というもの。この考えで言えば、ChatGPTはあらゆる教育の場面で禁止にすべきという結論になるだろう。


「市民を育てるか VS 人間を育てるか」
「厳しく躾けるか VS 優しく見守るか」
「AIを積極的に導入するか VS 禁止にするか」


このような二項対立で考えるから混乱するんだけど、「これからの時代に必要な能力とは?」という問いに対して明確な答えが出ているわけではない。ただ絶対的に言えることは、「自分はこの世に生まれてきて良かったんだ」「自分はここにいていいんだ」「自分は愛されているんだ」という実感を子どもに持たせ、子どもの心の中に安全基地を作ることは大事だと思っている。


この心理的安全性とも言える安全基地があるから、失敗を恐れず一歩前に踏み出せるし、やりたいと思ったことをやりたいと自分の言葉で表現できる。これは確信している。また大人の世界においては、むかし流行した「人間 VS AI 」みたいな構図で対抗するのではなく、しっかりAIと向き合ってどう上手に活用するかを考えることも必要だと思っている。まだまだ言葉がどんどん落ちてくるが、今日は、こんなところでおしまい。

 

ライフスキルコーチ

ミスターおかっち

 

 

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