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さてさて・・・

百人一首、やったことある?

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大江山、いく野の道の遠ければ、

 まだ踏みもみず天橋立
」 (小式部内侍)



これが、穂吉が初めて覚えた百人一首の歌です。

今も、この歌の響きがとても好きです。

天橋立』という部分が、幼かった穂吉の心に響きましたぁ。



穂吉は、何首、覚えたかなぁ?

遠い昔、小学生の頃、中学生の頃が懐かしいです。



そうそう忘れてはならない、この歌も好きです。



わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと

 人には告げよ 海人の釣り舟
」 (参議篁(小野篁(おののたかむら)



ある時、小野篁(おののたかむら)公は、遣唐使副使という任につきました。

しかし正使が乗るはずの船を、正使が乗りたくないと言い、

副使である篁公の船と交換しろ! と、言い始めました。

その交換したい理由が、

「この船は沈むかもしれないから、取り換えろ」

というものでした。

それを聞いた篁公は激怒し、『私は唐に渡りません』と、

遣唐使として唐に渡ることを拒否したのです。



それにより、遣唐使拒否に対する罪などにより、

篁公は、隠岐(おき)へ流罪となりました。



隠岐へ赴く篁が、その時の心情をうたった歌、

それがこの「わたの原 八十島かけて ・・・」です。



ここからは、とある小説に書かれていた部分です。

しかしこの後、篁が都を離れてからというもの、都では、干ばつに襲われたり、疫病が流行ったりと、不吉なことが多く起こりました。
このことを多くの人々が、「本当は篁様は悪くなかったのに、流罪にされたから災いが起こるのではなかろうか?」と、噂しあいました。
その後、篁は罪を許され都に戻ります。そして篁が都に戻ってからは、災が鎮まったということです。
(参照の小説 : 藤川佳介「篁・変城秘抄」




罪を許され都に戻った篁公は、

この後、参議にまで上り詰められました。



はぁ、小野篁公の事を考えると、

うっとりしてしまう、穂吉なのですっっ。

でもね、あまり文献が残っておらず、

よくわからない人物であるのも確かです。



そんな小野篁公を祀った神社が東京、入谷にあります。

通称は、「おのてる」様。

小野照崎神社」です。 http://onoteru.or.jp/

主祭神は、小野篁公、そして菅原道真公のお二柱です。

道真公は、言わずと知れた学問の神様、

そして公は、「東宮学士」という地位だった頃があられます。

東宮(皇太子)」の学問の先生です。

ということでね、

この神社の主祭神は、お二柱ともに学問の神様です。



それからこの「おのてる」さんの境内には、

富士山を祀る「富士塚」もあります。

富士山の山開きに合わせ、

毎年6/307/1には、山開きの行事が行われ、

多くの方々が、この富士塚を訪れています。



ちなみに「富士山」は、「不二山」とも書きます。

不二」とは、

二つと無い、唯一のもの」、「尽きることが無い

等という意味があります。



もしも上野近辺に行かれることがありましたら、

少し足をのばし、

入谷」の「おのてる」様へも行かれてみてくださいね。



長々とお読みくださり、誠にありがとうございました。

おしまいっ。
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