『 二. 琵 琶 湖 の 2 月 2 5 日 』
前回のお話し 「一. 琵琶湖の人魂(ひとだま)」
昔、琵琶湖の東南の村に、とても裕福な農家があり、
その家には、「お谷」という名の娘がおりました。
お谷とても美しい娘の上、学問への情熱の強い娘でした。
当時の女性としては、たいそう珍しい、
何でも知りたがる、『知りたがり屋』だったのです。
初めて聞く事、解らない事は、他人に聞いてでも覚えたいと、
娘は、常日頃から思っていました。
そんな娘は、比叡山に住む一人の若い僧に、
解らない事を尋ねた事がありました。
するとその僧の、あまりに博学な事がとても気に入り、
さらにその僧が、余りに美しいが為に、
お谷は、この僧にすっかり夢中になってしまったのです。
お谷の居る村から、比叡山までは、
琵琶湖を舟で漕いで渡って行かねばなりません。
お谷は、この若い僧に会えば会う程、好きになり、
頻繁に、琵琶湖を渡るようになっていきました。
更には、熟練した漁師たちでさえ、
高波の日には、舟を出すことを躊躇するのに、
お谷は、親の言うことも、誰の言うことも聞かず、
危険な琵琶湖を、漕いで行くほどでした。
やがてお谷は、僧を恋する気持ちを、
どうにも抑え切れなくなってしまいました。
何としても若い僧に、自分の思いを伝え、
僧に、寺を捨てて、自分と夫婦になる為に、
駆け落ちしてもらいたいと、
説得しようと、心に決めたのでございます。
若い僧はと言いますと、
あの娘を、どうしたらここに来ないように出来るか?
それが全くわからず、色々と思案しかねていたのです。
そして僧は、さんざん考えあぐねた末に、
「やれる見込みがない事を、やってみなさい」
と、言ってみることに決めたのでした。
2月の終わりごろの天候だと、
琵琶湖を小舟で行き来することは、大変な困難を伴います。
それなのに、この若い僧は、あまり深く考えもせずに、
『お谷さん、もしあなたが2月25日の夕方に、
盥(たらい)の舟に乗って、
この湖を、ここまで渡って来られたならば、
わたくしも、この法衣を脱ぎ、僧職を捨て、
あなたの願いを、叶えてあげることを考えてみましょう。』
と、お谷へ言ったのでございます。
それを聞いたお谷は、
嬉しさの余り、天にも昇る気持ちになったのです。
しかし、盥(たらい)舟に乗って、2月の湖を渡ることが、
どんなに危険で、不可能な事かという事は、
この時のお谷は、全く考えも及ばなかったのです。
恋しい思いに目がくらみ、
若い僧の言ったことの、本当の意味など、
今のお谷には、全く想像も出来ませんでした。
『次に湖を渡る、その帰りには、
あの若いお坊さんも、私と一緒に舟に乗るのね。
そして村に着いたら、私たち夫婦になるのね。』
そう考えながら、お谷は艪を強く強く漕ぎながら
幸せな気持ちで、帰路を急いだのでした。
やがて2月25日になりました。
お谷は、大きく丈夫で、上等な盥を手に入れました。
そしてその盥を湖に浮かべると、
暗くなってから、不安定な舟に乗って、
幸せな気持ちで、出発したのでした。
どの位の時間、お谷は盥の舟に乗っていたでしょう。
湖の半分あたりまでやって来たところで、
突如として嵐が、比叡山の上で起こったのです。
何度も強い風が、琵琶湖へと吹き降りました。
波もどんどん高くなります。
その時です。
比叡山近くの湖畔で、いつも焚かれている火が、
大風に煽られたのか、消えてしまったのです。
お谷は必死に盥の舟を漕ぎますが、
目じるしの火が消えてしまい、
どこへ進んでいるのか、判らなくなってしまったのです。
そしてとうとう可哀想なお谷は、
盥の舟もろとも湖の底へと、沈んでしまったのです。
数日後、お谷の乗った盥は、
琵琶湖の東の岸に漂着したのです。
その盥は、細かく割られて、
火を点ける為の『付け木』となったとのことです。
そしてお谷の、このいきさつが、
盥の辿り着いた、湖の東側の村の人々に知れ渡ると、
村人たちは、毎年2月25日は仕事を休みにして、
お谷の鎮魂の為に、神社でお祀りすることにしたのです。
そしてお谷が亡くなった夜から、
毎年、2月25日には、琵琶湖は荒れるようになり、
その為に漁師達は、この日に漁に出ることを
とても怖がるようになったとのことなのです。
『二. 琵琶湖の2月25日』 おしまい。
- 追 記 -
このお話しは、RGスミス氏の「日本の伝説」の中に記載されている話しに、穂吉が手を加えた伝承風のフィクションです。
ここまで読んでくださって、誠にありがとでしたぁ。
おしまいっ。
