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昭和20年。
民間人を含め、日本側に18万人を超える死者を出した沖縄戦。
当時、那覇市内にあった看護養成所で
看護婦を目指していた新崎はるみさんは、
沖縄戦開戦をきっかけに従軍看護婦に自ら志願。
25人中10人が戦死したという「石部隊」の
従軍看護婦として沖縄戦を体験しました。
新崎さんが体験した沖縄戦はどのような戦いだったのでしょうか。
見れない方はこちらから → https://youtu.be/Ouzf09LiG5Y ← リンク貼ってます。
党首 : 沖縄戦の時は、 何をされていましたか?
新崎 : 最初はですね、 宿舎を借りて そこで授業を受けたり、 患者さんとか、 傷の消毒をしたり、 包帯を巻いたりしてやってましたけど、 やってました。
そして、 だんだん空襲が激しくなって 壕に入りました。
壕に入っても、 やっぱり 負傷兵の介護したり してました
ちょっと傷の手当てが 遅れたら、 ウジがいっぱい出て、 それを何か ピンセットで消毒したとか そんなのもたまにありました
友だちはですね、 あの手術場にいて、 そこは足の手術が 多かったみたいですね。
それをいっぱいやった友だち、 同じ養成所の人で。
そしてこのあの切断した足とかを 運んで埋めたとか、
6月ころから、 もうあんまり、 あの薬品もなくて、 治療できませんでした。
そして、 首里で激しくなって 首里から、 南方方面に 移動することになってですね、それからあとはもう、 治療も何も出来ませんでしたね。
党首 : そもそも、 新崎さんは、 看護、 なんで看護婦になられたのですか?
新崎 : 父なんか、 42歳で、 若くて死んで、 1年に3回(人?)も亡くなったから、 看護士してみよう と思いになりました。
党首 : 野戦病院から壕に行ったのは、 何名くらいいらっしゃたのですか?
新崎 : 養成所は、 45名いましたけど、 家族の許可要りますから、 野戦病院だから、
そして25名、 行って、 みんな25名行って、
党首 : 家族の許可が 要ったんですか? 野戦病院?
新崎 : うん、 家族の許可貰いに行って、
党首 : じゃあ、 強引に、 あの看護婦に 徴収されたわけでは 無かったのですね?
新崎 : はいはい、
党首 : 壕の中では どんな様子でしたか?
新崎 : 自然壕だから、 土、 土ですよね、 中は土が多いですよね。 そこに、 なんか 敷物したり、 また、 蓆があったらば蓆なんか敷いて、 そのままあるのを敷いて、もう全部ずらっと寝てました。 兵隊も、 それから看護婦とか 女性も、
党首 : 食べる物とか?
新崎 : 食べる物とか、 後からなかったですね。 もう最後は、 マブニでしたから、 海岸通り、 ですよね。
貝殻の小っちゃいのとか、 いますよね、 海辺はね、 それをもうちょっともう砕いて洗ったりして、 あんなので飢えを凌いでいました。
首里から、 南方に移動する時は 青い、 山の青い緑の葉っぱとか 何もなくて、 地面は艦砲の痕で、 もう大きい穴、 小っちゃい穴、 もう凹凸になって、 いました。
それを越えて、 やっとマブニに移動しましたけれども、
そのあとはもう、 壕に入ったきりで、 夜になったら食料を探して食べたり、 昼は壕に入って寝ていたり、 そんな状態でした。
党首 : その時の、 お気持ちはどんなお気持ちでしたか?
新崎 : なんかもう友だちもあんまりいないし、 あの25名くらい戦争に行きまして、 養成所の人は、
マブニの最後の壕は、 3名だけになって、 「もうみんな何をしてるかな」 と思ったり、
その位しか、 思えなかったですよ
何も、 考える 力っていうのかね、 もう無くなっていましたね。
ただ生きてるって感じ してました。
党首 : もう見るにも堪えないような 現場だったと思うのですが
そうした、 日本軍の人たちに対しては、 どんなお気持ちで、 接していましたか?
新崎 : 思いというよりか、 なんか、 自然体というですかね、 日本を守るための兵隊さんですから、 敬意を持っていますよね、 だから、 その気持ちですよ、 はい、 ずっと最後まで
党首 : 酷い事をされたとか、 怒鳴られたとか、
新崎 : そんなこと絶対ないですね。
党首 : 壕の中に、 日本軍があの、 兵隊が来て、 追い出されたり・・・・
新崎 : そんな事、 なかったです。 うちらの場合は。
党首 : 追い出されたりとか
新崎 : いや、 無いです。
党首 : ないです?
新崎 : はい、 ちゃんと何名の所に、 何名、 何名 どこに配置されてて、 ちゃんと食事も与えられてたし、 そんなに辛い思い してないです
党首 : あの、 壕の中に慰安婦が いたとう報道が、
新崎 : あんなのはいないです。 絶対ない。 慰安婦? というのは、 最近聞いただけです。 あんなの、 絶対ないですね。
それどころじゃないよ。 戦ですもん。 もういつ死ぬか、 わかんない状態ですから。 絶対、 あんなのはないです。
党首 : 手榴弾を、 あるいは青酸カリとかを 渡されたなんて話がありますが、 その辺りはどうなんですか?
新崎 : あのですね、 あの手榴弾は1個ずつ、 貰いはしましたね。 だけどどこで捨てたか、 覚えてません。
党首 : それを渡された時は、 何といわれたんですか? 強制されたりは・・・
新崎 : いや、 強制されたりはしてません。 いや、生き延びなさいとは言われましたよ。
党首 : 逆に、生き延びなさいと言われたんですね?
新崎 : はい、はい。
党首 : 強制した集団自決というのは、
新崎 : ありえなかったです。 1人も、 そんな事で亡くなっていません。
党首 : 命令を聞いてとか、
新崎 : 命令も無かった。 とにかく解散命令、 生き延びなさい、 という、 解散命令が 出たの覚えてます、 これだけは。
党首 : あの、 よくですね、 沖縄の方は、 本土に見捨てられたっていう、 思いを持っている方が多いと聞くのですけども、
新崎 : そういうことは、 うち聞いていません。
党首 : 思ったことも無い?
新崎 : 思ったことも無い。
党首 : 今、 亡くなられた方が、 今、 この時代を見て、 今の私たちを見て、 何て思っていると思われますか? 無駄死にだとか言う人も居れば、
新崎 : 無駄死にじゃ無かったと思います。 みんな お国の為、 お国の為にと言って やったんですから。 あの この 看護婦養成所に入った者、 みんな そうだと思いますから、 みんな あまり悲しんで無いと思います。 亡くなった人達は、 みんな 国の為、 国の為だからと思って 亡くなったと思います。
~ f i n ~
ここまで読んでくださって、誠にありがとうございました。
おしまいっ。

