『 興 義 和 尚 の は な し 』
千年ばかりまえに、
近江の国の大津にある三井寺と言う有名な寺に、
興義という博学な僧がいた。
この和尚はまた、絵の大家であった。
そして、仏さまや山水や鳥獣の絵を、
みなほとんど同じようにうまく描いたが、
魚をかくのが、いちばん好きだった。
天気がよくて、仏事の暇なときには、
よく琵琶湖へ行って猟師をやとい、
魚をつかまえさせたが、あとで大きなたらいに入れて、
その泳ぎまわっている様子を写生できるように、
魚をすこしも痛めないようにさせた。
絵にかいてしまうと、手飼いの生きものみたように、
魚に餌をやり、自分で湖水まで持って行って、
ふたたび放してやるのが常だった。
和尚がかいた魚の絵は、とうとうたいへんな評判になって、
ずいぶん遠いところから、
人々がはるばるそれを見にやって来るほどだった。
しかし、和尚の魚のすべての絵のなかで、
いちばん見事なのは、
生きた実物をそのまま写したものではなくて、
夢の記憶をたどって描いたものだった。
ある日のこと、興義が湖の岸にすわって、
魚が泳いでいるのを見守っていると、
ついうとうとと、まどろんで、
水のなかの魚と遊んでいる夢をみたのである。
目をさましてからも、
その夢の記憶がたいへんはっきり残っていたので、
それを絵にかくことができた。
そして、この絵を寺の自分の部屋の床の間にかけて、
「夢応の鯉魚(むおうのりぎょ)」とよんだ。
講義は、自分のかいた魚の絵は、
どれひとつ売る気になれなかった。
山水や鳥や花の絵なら、よろこんで手放したけれど、
生きた魚の絵は、
魚を殺したり食べたりするような残酷な者には、
売りたくない、と言っていた。
そして、和尚の絵を買いたがる人たちは、
みんな魚を食べる人たちばっかりだったので、
いくら金をだしても、売る気になれなかったのである。
~今日は、ここまで。 続きはまた明日。~
ここまで読んでくださって、誠にありがとでしたぁ。
つづくですっ。
