この記事は、穂吉のブログの「2013-01-04 16:42:01」にUPした『日本の神話234. ~第四部 大和朝廷~ =第二三章 顕宗(けんぞう)天皇=』という記事を再編成してUPしています。
最初のお話し 『日本の神話01』 前回のお話し 『日本の神話233』
この回も、大君、袁祁王(をけのおおきみ)
(顕宗天皇(けんぞうてんのう))様の御世のお話しです。
雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)に殺された、
天皇、袁祁王様と、
天皇の兄君の意祁王(おけのおおきみ)様の
父上、市辺忍歯王(いちのへのおしはのおおきみ)様の、
亡骸を埋めた場所を知っていると、
一人の老婆が天皇の元へ名乗り出たのです。
天皇は早速、近隣の民に手伝わせ、
老婆の申し出た場所を掘り返させました。
すると馬の飼い葉桶に詰められた、
お二人分の亡骸が見つかりました。
そして老婆が申したように
お一人の頭蓋(とうがい)には
『三つ又の八重歯(やえば)』が確かにあるのです。
これこそが、市辺忍歯王様に間違いありません。
そして、もうお一人の亡骸は、一緒に殺された
市辺忍歯王様の舎人のものに相違ありません。
天皇は、この蚊屋野の東の山の麓に、
すぐさま仮の御陵を二つ造られると、
埋葬し、手厚く葬られたのでございました。
そして後に、この老婆を再び都へと呼びよせ、
亡骸の場所を忘れずにおり、
さらに毎年、市辺忍歯王様の命日に、
花を手向けた功績をたいそうお褒めになられ、
この老婆に、
『置目の老媼(おぎめのおみな)』
という名を賜いました。
天皇は、置目の老媼を大変お気に召され、
老婆の住まう家を
皇居のすぐそばに造らせたのでした。
- 追 記 -
「古事記」には、蚊屋野の東の山に御陵を造られたとだけ、書かれています。
しかし別の風土記には、『頭蓋骨の区別はついたが、身体は朽ち果て見分けることはできなかった。その為、御陵を二つ造り丁重に葬られた』と、されている文もありました。
穂吉は、後者の『二つの御陵を造った』という方を採用させてもらいました。
さらに別の風土記においては、頭蓋骨の判断をする時に、舎人の乳母がやってきて、舎人は前歯が欠けていたと、記されています。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
おしまい。

