最後の晩餐には何が食べたい?
とよく聞かれるけど、僕は『葵のお好み焼き』だと言います。
その葵のお好み焼きは明日で閉店。





その葵のお好み焼きと僕との出逢いは18歳の時。
葵が袖師にあった頃。
関西風しか興味がなかった僕に、広島風の美味しさを教えてくれたのは葵でした。
衝撃的な美味しさにハマり、2ヶ月に1度は行くようになりました。





行く事でおじちゃんとおばちゃんと仲良くなり、いろんな話をしました。
うちの家族ともよく行きましたが、家族ぐるみで仲良くなり、うちの父親が亡くなる前に食べたのは葵のお好み焼きでした。
そして、父親が亡くなったあと残された家族で食べたのも葵のお好み焼きでした。





おじさんが僕が乗っていたカローラフィールダーを気に入って、おじさんもカローラフィールダーを購入されましたこともありました。




とにかくすごくキチッとされたご夫婦で棚はもちろん、鉄板の上も何年も使ってると思えないほどピカピカでした。
お好み焼きの出来上がりも芸術的。
お二人の性格と想いがこのお好み焼きを作られたんだなといつも思ってました。





そんな葵さんにも1回お別れの時が来ます。
おじちゃんが急死されたのです。
僕も亡くなられたあと人伝てでそのことを知り、すぐに店へ行きましたが、そこにはのれんも、大好きだった夫婦の笑顔も、ピカピカの鉄板もなくなってました。





あんだけ仲が良かった2人。
大好きなおじちゃんが亡くなって、おばちゃんが今どんな想いをしてるのか、そして、どこへ行ったのかもわからぬまま無情にも時は過ぎて行きました。





それから2年以上過ぎたある日、人から葵がうちの家の近くで復活してるという話を聞きました。
まさかと思い教えてもらったところに行くと見覚えのある葵の文字。
いや、でもまだ信じ難い、そんな気持ちを胸に中に入ると、いらっしゃいと聞き馴染みのあるおばちゃんの声。
噂通りおばちゃんが1人で再開されていたのです。





顔を見合すと福山訛りで『門脇くん!』と言われ、涙されていました。
その表情を見て僕もついつい感極まりました。





その後は本当にもう食べれないと思っていた葵のお好み焼きを焼いてもらい食べました。
あの時の愛情あふれて、おじちゃんの思いもしっかり詰まったお好み焼き。
本当に嬉しかったです。





食べながら今までの空白の時間のことを聞きました。
おばちゃんにとっては本当に壮絶なる毎日だったと思います。
ただ何も言わないで気力を無くしたまま店をたたんで福山に帰られた気持ちは痛いほどわかりました。





それでもおばちゃんは帰って来てくれた。
何も言わずに松江を離れたことが心残りだったこと、あとはおじちゃんの想いを継ぐこと。
この想いだけでまた新しく、おばちゃん1人で再開されたそうです。





飛び上がるほど嬉しかったし、たまたまだけど、家から近くもなった。
すごく運命を感じました。




お店は口コミで広がり、元の常連さんが戻って来たみたいで、かなり順調に繁盛していましたが、おばちゃん1人というかなり負担のかかる毎日を過ごされていました。
その間にも通っていろんな話をすると、絶対言わなかった弱音も少しだけ話してくれるようになりました。





僕個人で言えばもう食べられないという思った葵のお好み焼きが食べれたこと、ずっと心配していたおばちゃんに再会出来たことですごく満足していて、最優先はおばちゃんの体調のことを気にするようになりました。






すごい覚悟を持って帰って来てくれたおばちゃんが潰れる姿は絶対見たくなかったので、休みをもっと増やしたり、営業時間を短くする提案も出したが、おばちゃんは大丈夫だよ!と気丈に振る舞うばかりでした。





そこで感じたのがおばちゃんの人の為にみなぎっているパワー。
人が喜ぶなら、感謝の気持ちが伝えれるなら頑張れる。
そんなおばちゃんにめちゃくちゃ憧れました。





そして、おばちゃんは僕のこともすごく応援してくれました。
テレビ出てたね!とか、CD聞いたよ!とか、新聞見たよ!とか細かいところまでチェックをしてくれていたのにもおばちゃんの優しさを感じました。
結婚した時もわざに電話をいただき、お店に寄るようにと連絡があり、寄ってみるとお祝いを包んで渡してくれた。
しかも大安の日を狙って。
本当にとことんキチッとされている方だなと感じた。





再開で喜んではいたが、1人での切り盛りはおばちゃんの体を痛めつづけていた。
今年の夏前に疲れで体調を崩されて、それを機に子供さんとも話をされ、閉店を考えられていることを聞かされた。
まだ発表は筋道通してからするから誰にも言わないでねと言われ、おばちゃんのキチッとした性格をここでも感じさせていただいた。
まるでおじちゃんを見ているようでした。
たぶん2人は今一心同体になっているんだと感じました。






すごく寂しい想いはありましたが、ここはおばちゃんの体調が最優先。
前みたいに何も言わずにお別れすることもないという気持ちも強かった。
それからまもなくして、閉店のお知らせが店内にも貼られて、みんなが知ることとなる。
8/31をもっての閉店。
おじちゃんの命日近くでもあって、ちょうど1年の区切りのいいこの日に決定した。






そこからは行ける時間を作って顔だけでも出すようにした。
悔いのないよういっぱい話をした。
おじちゃんがいた袖師の頃にはここまでおばちゃんと話をしなかった。
昔の話。おじちゃんの話。子供さんの話。孫の話。最近のワイドショーの話。
どれも楽しそうに話すおばちゃんの声は昔以上に弾んでいた。





話せば話すほど寂しくなるのは知っていた。
だけど、2人とも元気でいれば必ず会えると信じている。
電話番号も交換した。
前みたいに何も言えずに離れることはない。





そして、今日、明日が最終日で忙しくなることはわかっていたので、前日の昼の最後に食べに行きました。
ここなら絶対に話が出来る。僕が1年間調査したおばちゃんと話しながらゆっくり食べれる最高の時間です。
そして、いつもの豚そば肉玉のイカとチーズトッピング。
焼きあがった最後の葵のお好み焼きは相変わらず美味しかった。
おじちゃんが作っていた頃から変わることなく、さらにおばちゃんの愛情が詰まった葵のお好み焼きでした。





今日店に行く前、いや、閉店を聞いた日から葵で言う最後の『ごちそうさま』は絶対笑顔で言うと自分で決めていました。
だけど、会計を済ませて、おばちゃんの顔を見たら、涙が止まらなくなりました。
最近でもこんなに泣いたかってくらい泣きました。
おばちゃんも我慢してくれてたみたいで一緒に泣きました。
手を握り合って泣きました。





ごちそうさまを言ってからもう二言絶対に言いたい言葉があり、涙声のまま、『お疲れ様でした』と『ありがとうございました』の感謝と労い。
おばちゃんからは『本当に今までありがとう』『これからも頑張ってね』の素敵な言葉をいただきました。





奇跡のような1年間を本当にありがとうございました。
おばちゃんにはこれからは自分の為に生きて欲しい。
もう一度言うけど、お互い元気でいれば必ず会えると信じてます。





お疲れ様でした。
宇宙一美味しい葵のお好み焼きを食べれて僕は本当に幸せでした。
ごちそうさまでした。







僕の毎回頼む豚そば肉玉のイカとチーズトッピング。おばちゃんは僕の顔を見るとすぐにこのお好み焼きを作ってくれました。
手入れのされた鉄板
僕のフライヤーも置いていてくれました。

大樹カレンダーも。






おばちゃん、僕、頑張るよ。
離れていてもどこまでも届く立派な人間になるよ。
ひとつ言えるのは、これからも間違いなく最後の晩餐には『葵のお好み焼き』って言うからね。