皆様こんばんはTAKAです。GWを挟んで久しぶりのブログになってしまいました。
さて、ブログのお題は「泣けるアニメ!!・悩むアニメ??」と書きました。
私自身、この頃殆どアニメは見ません。
子供の頃からチョット変わっていて、幼稚園・小学校時代は、「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」等は見た記憶がありますが、「機動戦士ガンダム」は薄っすらとしか記憶も興味もない状況で、あとは「ドラえもん」「サザエさん」等の大人も見る定番アニメしか見ないです。
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そんな私ですが、今回始めて「最初から最後まで録画した」アニメが出来ました。
それが先々週と先週の月~金の間全10回放送された「もしドラ」です。
原作は昨年のベストセラーで250万部以上が売れている、岩崎夏海氏の「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら(略して「もしドラ」)」ですね。
『もしドラ公式HP 』
ピーター・ドラッカーの「マネジメント」は、経営学の名著ですから1980年代末(高校生の時分)に読んでいたのですが、私自身は前にmixiに書いた 通り、『今や経営者なのに)実を言うと「経営書」は大嫌い・青春物の小説やドラマも(自分にかけ離れた話で)大嫌い・(著者がプロデュースし、小説の主人公のモデルが居る)AKB48と言うアイドルも知らない』と言う考え方です。
でもこの「もしドラ」は本を読んだときには、mixiの日記 で『読んで行ったら引き込まれて約270ページの本を「一気読み」』『しかもこの本は「入門書」でこの後ろにはバックボーンとしてP.F.ドラッカーの「マネジメント」が有るので、軽いタッチで書いても軽くならず一定の重みが有るので、読み易い良い感じの小説』と、チョット斜に構え書評を書いています。
しかし今回アニメを見て、原作を読んでいるのでストーリーは全て知っているのに、(泣くまでは行かなくても)泣きたい気持ちになるし、何か心の中に「モヤモヤした悩ましい気持ち」が、ずっと残っている感じになりました。
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それは何故か?原作を読んでアニメ版を見ているので、「原作を読み返す」事になっているので、今回特に深く感じたのかもしれませんが、ドラッカーの「マネジメント」でも強調され、「もしドラ」でもキーワードに据えられている「真摯さ」と言う言葉に引っかかっていたのかも知れません。
「真摯さ」と言う言葉、「真摯」の意味は、yahooの辞書によると「まじめで熱心なこと 。」との事です。
しかし、ドラッカーの原著では「integrity」と書かれ、「真摯さ」と意訳されています。で「integrity」と言う言葉は、yahooの辞書では「正直,誠実,高潔,廉直 」と書かれています。
つまり「真摯」の派生語である「真摯さ」とは、「正直さや誠実さが一貫している」と言う事であろうと解釈しました。
此処で、何故ゆえに「もしドラ」を見て「泣きたい気持ち・悩ましい気持ち」になったのか?何か少し分かってきた気がしました。
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なぜなら、私に「真面目で熱心」と言う意味での「真摯さ」が、(もしドラの舞台の学生時代には)欠けていた自覚があり、又今のプライベートの対人関係の中においては「integrity」に欠けている?と自覚があるから、「真摯さ」をキーワードに据える「もしドラ」を見ると、「心の傷」を抉られ悲しく悩ましい気持ちになるち感じてます。
私の中学・高校時代は、部活を何やる訳でなく、「熱中する何か」が有った訳でなく、特に中学時代は「自分に取り暗黒の時代」と言うイメージしかありません。
しかも「もしドラ」の中で、野球をやる動機に「社会に出てから体育会系というのは重要な要素。その為に野球を部活としてやる」と言葉がありましたが、私自身それが無いゆえの「劣等感」「屈折した感情」と言うのも有るのは、否定できない事実です。
又、プライベートの人間関係では「正直で誠実」では有ろうとした自覚は有りますが、「高潔で廉直」と言う物は足りなかったのでは?と感じては居ます。
結局の所、私を知る人間は、私を「高潔=人柄がりっぱで、利欲のために心を動かさないこと 」「廉直=心が清らかで私欲がなく、正直なこと 」とは、お世辞でも無い限り言われないだろうし、私自身「人柄が立派で利欲の為に心を動かさない。心が清らかで私欲が無い」なんて事は全然無いと自覚しています。
又、プライベートの人間関係(私の場合家庭もオフィシャルな人間関係だからプライベートな人間関係は、交友関係を中心に極めて限定される)で、「利欲と私欲が無い」等と言う事は殆ど無いと自覚しています。
結局私は「人との付き合いの大本に、ビジネスと言う名の「欲」が有る」人間なのかもしれません。
その様な人間が「正直で誠実で高潔で廉直」とは言えません。
だから、もしドラのキーワードである「真摯さ」という言葉に、「泣きたい気持ち・悩ましい気持ち」になったのかも知れません。
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ドラッカーは「マネジメント」の中で、「真摯さ(integrity)」は、「後天的に獲得出来ない資質」と言っています。
「もしドラ」のキーワードの「真摯さ」の言葉の裏に、「後天的に獲得できない「正直さ・誠実さ・高潔さ・廉直さ」」と言う物について隠されていると考えると、プライベートの人間関係で「「正直で誠実」では有ろうとした自覚は有れど、「高潔で廉直」と言う物は足りなかったのでは?」と感じている私には、物語そのものが「グサリと来る内容」と言えます。
それは、もしドラを見て泣きたい気持ち・悩ましい気持ち等の自分のモヤモヤの元は「真摯さ(integrity)」が足りない事を心の底で自覚しているからだ」と原因が分かってしまってから、非常に複雑な気分になってしまいました。
なぜなら、ドラッカーは「真摯さ(integrity)」とは、「後天的に育成できない物」だから、今更何をしても心根の奥底は変えることが出来ない、と言う事だからです。
しかもその原因について「何故そんな「真摯さ(integrity)」を持ち合わせない性格なのか?」と言う事について、自分の家族の中での子供の頃からの「家庭と仕事がべったり一緒の生活での家の跡取りの長男」と言うのが、「先天的な悪影響」として今の私の性格に出ている側面が有ると考えると、話は「究極に先天的なもの」として「諦めるしかないのかな?」と感じています。
まあ、こんな人間なのですから仕方ないですが・・・。
と言って、今更「私の人格に高潔さと廉直さが育つか?」と思えば、先ず無理でしょう。今までの全人格を否定することからスタートする必要が有りますからね。其処までの強い意志はありません。
と言う事は「成るようになる」しかないのかな?と思うしかないのかもしれません。自分が「人格に欠点のある人間」なのですから、嫌われても避けられても切られても仕方ない、只それを受容していくしかないか?と思っています。
その中で、「人格に欠点があり、高潔さと廉直さが無い私と付き合ってくれる人」を大切にして行けば良いと思うとしかないと(少し開き直って居るが・・・)思うことにしました。
そうしないと、「どうにも成らない所で悩むだけ」に成りそうですし・・・。チョット乱暴ですがね。
私のプライベートの当てはめると、「もしドラ」が示唆する物、物凄く悩まされて悲しい気持ちにさせられて、自分の問題点を改めて実感させる物と感じました。