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第一経営グループ代表 吉村浩平のブログ

第一経営グループ代表 吉村浩平のブログです

先週は埼玉中小企業家同友会の全県経営研究集会が、大宮ソニックシティを会場に行われました。今回のテーマは「広げよう学びの輪 磨こう経営の力」~人間尊重の経営と強靭な経営体質の企業で豊かな地域づくりに貢献しよう~というものです。オープニングの基調講演は、沖縄の有限会社やんばるライフ専務取締役の比嘉ゑみ子氏。講演テーマの方は、同友会での学びで「何のために」を問い続け~「人」の不完全さと多様性を認めたことから始まる「人を生かす経営」~です。

 

やんばるライフは、沖縄で最初のダスキンのフランチャイズ加盟店です。正社員13名、パート20名のうち、障害者を8名雇用されています。私は今回初めて聞いたのですが、比嘉さんが言われるには、沖縄では障害者のことを「健常者」に対比した表現として「健障者」と言うということでした。

 

人の障害というのを、あくまでも個性と見ること、個人の個性を考えて、その人がイキイキと働いていける職場づくりこそが「人を生かす経営」になるということから、「害(がい)」という言葉をあえて使わないということのようでした。「なるほど」というか、そうした細やかな心遣いがあることで、時々の発想も違ってくるのかも知れないと思いました。

 

比嘉さんは、別法人として就労継続支援A型事業所として「やんばるステーション」を経営されています。そこで働く障害者が活躍する写真を映しながら、清掃作業でレンジやエアコンを分解する際に、一つの作業ごとにデジカメで記録しておいて、作業後にスムーズに復元する工夫を障害者が自分で考えた例なども紹介されていました。

 

障害者が排水溝や床タイルの清掃作業する時に、素手で一生懸命に完成度を上げる取り組みを行う様子を見て、新しい道具を買ってくることもあったそうです。そうした場面に出会うことで、新たなスキルなど仕事の幅や領域を広げていくことの大切さに気付かされたということでした。

 

サポートは一人ひとりにあった量で行う必要があるということで、サポートをやりすぎないこと、教えすぎないこと、難しいことは易しく、易しいことは深く、を意識されているということでした。また自分でやることの達成感を感じてもらうこと、お客様の激励が主体性につながるという話も印象的でした。

 

比嘉さんが障害者を雇用するきっかけは、養護学校(特別支援学校)からの実習生受け入れです。学校見学に行った時に「企業で働いて母親を助けたい」という少年との出会いがありました。面白いのは、彼が実習に来ることになって、社内では急に社員が自主的に倉庫の整理を始めた事にとても驚いたと言われます。だって、それまで何度も5Sを言っても実行できなかったのに・・・

 

社員教育とは座学でやるだけでなく、社内の環境を変えるだけで良いことに気がついたと言われますし、そうした整理・整頓を行う中で、また仕事を一つひとつ分解していく中で、健常者にとっても使いやすい、分かりやすい状況が作られるとともに、多くのムダやムラがあることも分かったと言われていました。

 

講演の後半には、人間尊重の経営を進めていくためには、地域との連携が欠かせないということを話されていました。自分たちの地域は自分たちで創っていくということで、医療や教育とも連携した様々な取り組みが行われている様子を紹介されます。

 

落書きだらけで汚く、たまり場状態になっていた地下道をきれいに清掃し、壁に子供たちが描いた絵を張り出したりする取り組みで生き返ったトンネル、またフィールドドリップということで脊髄損傷や筋ジスといった身体障害者と一緒に海に入ったりして、みんなのイキイキとした笑顔の写真が映し出されていました。

 

比嘉さんは、こうした取り組みを一時的な活動とするのでなく、すべてを巻き込んで地道に取り組むこと、すなわち「運動」として取り組んでいくことが、共生社会につながると言われます。共生社会とは、誰でもが自分の人生を考えられる多様性を受け入れる「人間尊重の経営」と繋がるという話、そのために意識して“知らなければならない”と言われます。

 

また最後に言われていた言葉には素直に感動しました。「ずっとダスキンのインセンティブを追いかけて、グラフだけを追いかけてきた。そんな時に障害者雇用を始めて『なぜ出来ない』から『どうしたら出来るか』というように考え方が変わった」と言われます。経営者としての人生観の変化なのかもしれません。

 

新しいことにチャレンジすることで、見える景色が変わってくる学びの力を感じるということ、運動としてこうした取り組みを続ける各地中小企業家同友会の凄さを感じる比嘉さんのお話でした。そういえば沖縄は首里城の炎上という衝撃的な事件が起きています。比嘉さんの話を聞いた直後だけに、沖縄のシンボルとしての“首里城の再建を必ず”という思いにも、心から共感するものがあります。

先々週のブログで、今月の初めに行われた理念研修でCSRについて学んだことを書きました。そこでCSRとは、昔ながら商人の世界で言われてきた「三方よし」と同じことだという講師の先生の話を紹介しています。面白いもので先週には、その近江商人の末裔から「三方よし」についての話を直に聞く機会がありました。

 

「納税者の権利を守る」という経営理念を共にする全国の会計事務所の交流会が、18日の金曜日に京都の聖護院・御殿荘というところで行われ、そこで最初に記念講演をしていただいたのが、創業150年というツカキグループの6代目、塚本喜左衛門さんです。講演テーマは「京都老舗企業が実践する、近江商人哲学と三方よし」というものでした。

 

塚本さんの話の中では直接にCSRという言葉はありませんでしたが、最初のところ100年企業、200年企業が日本に多いという話の関りで突然SDGsという言葉に触れ、企業経営の「サスティナビリティ(持続性)」ということを言われていました。わずか12週間の間で、全く予想外の繋がりで「三方よし」について聞くことになり、ちょっと不思議な気持ちになりました。

 

現在、ツカキグループは、基幹部門として、きものなど和装関係の事業、不動産事業、宝石その他の事業など大きく三部門に分かれた事業を行っています。さすが老舗は違うというか、喜左衛門という名前は塚本家の代表者が代々襲名してきたものと言われます。歌舞伎役者や落語家のような話ですが、自分が36歳、父親が76歳で存命中に、通称ではなく戸籍を変えるということを巡って役所と相当もめたようです。まあ、それはそうでしょう。

 

それはとにかく、塚本氏自身の商人育成帝王学ともいえる経験、家訓としての理念や生活習慣について、また祖母から繰り返し、繰り返し、三枚の絵を連ねたある掛け軸(三代の図)を指さしながら説教されたという子育てのあり方などについて話されました。

 

その掛け軸というのが頂いた資料のあちこちに掲載されているので、これは相当の教えとして塚本氏の身に染みているのだろうと思います。「ええか!一番下の絵は、真っ黒になって炭俵を担ぎ、夫婦で汗をかいて働いている創業者の図や」「真ん中のは、仕事をせんと自分の好きな茶道などの愉しみごとにうつつをぬかしている二代目の姿」

 

「一番上にある絵は、ええか、よお聞きや。三代目が乞食になって、赤犬に吠え立てられている図や。世の中、忙しうなってきたから、いま怠けていると、お前がこの三代目みたいに乞食することになるぞ!」と耳の奥に残る声の怖さを言われます。

 

さて私のメモと頂いた資料から、こうして近江商人として育てられた6代目塚本喜左衛門氏の言われる「三方よし=事業継続のファクター」についてまとめてみることにします。まず「売り手よし」、これは売り手の自己責任を意味しており、採算が合っているか、他社に過度の依存をしないで財務的に自立しているか、また世間の風潮に流されず自律した経営哲学を持っているかということ、そんな「利益と自立と自律」をつなぐ必要を言っています。

 

次に「買い手よし」、これは顧客への責任として、今、お客様に本当に喜んで頂いているか、次の世代にまでお客様の信頼を得ているか、というもので、2030年後も客が喜ぶ事業をめざす経営姿勢です。そして最後に「世間よし」、これはまさに企業の社会的責任を言っています。事業を通じて、お客様や地域社会に役立っているか、金儲けより一歩踏み越えて社会貢献できているか、ということです。

 

近江商人の家訓と教育として紹介されたことは、(1)互譲と融和(2)倹約と早起き(3)楽しみごと、芸事を慎み、無益な人との交際をやめる(4)世間よしを実行し、世の中に役立つことが人生の使命、というものです。特に面白いというか「無益な人との交際をやめる」というのは実にストレートな表現で、「さすが近江商人は違うな」と聞いていて思わず下を向いて含み笑いをしてしまいます。

 

最後に「家訓と教育」です。すなわち「才能<努力<習慣」ということです。いっときの運を開くのは才能である。人生を豊かなものにするのは努力である。次の世代まで栄えるもとは家族に根付いた生活習慣である。

 

要するにサスティナビリティは、良い習慣に帰着するということのようです。150年を超えて栄え続ける近江商人の話、実に奥が深いものがあります。

ラグビー・ワールドカップが凄いことになっています。一週間前の日曜日には、ついに日本がスコットランドに初勝利し、おそらく選手以外ほとんど誰も予想していなかったであろう、強豪相手に4連勝という成績で予選突破、ベスト8入りを果たしました。

 

選手の誰かが言っていましたが、率直に「さまざまな犠牲をはらってきた」という、まさに限界を超えた猛練習で一人ひとりが肉体改造を行ってきたという自信があります。そしてまた選手自ら考える自立したチーム作りが成功し、「ワンチーム」というお互いの信頼関係にしっかりと裏打ちされているからこそ、個人のパワーが生きていることを感じます。

 

そして今日はトーナメントで初めての南アフリカ戦でした。結果は残念ながらワールドカップ初のベスト4は持ち越しとなりましたが、自分を含めた「にわかファン」を一気に増やし、日本のスポーツにラグビーの魅力を知らしめた大会になっているのではないかと思います。ボールを力ずくで陣地に運ぶという極めてアナログなスポーツですが、そのシンプルさと楕円形のボールが持つ面白さは、確実に新しい日本のファンを増やしたことは間違いないでしょう。

 

ところで、超大型台風19号に閉じ込められた先週三連休の初日、少し前に買っておいた高村薫著の長編小説「我らが少女A」を読み始めました。何か新聞の書評を見て面白そうだと思って買っておいたものですが、なかなかのボリュームを前にして、これは積ん読状態になってしまうかと危ぶまれましたが、おかげ様でなんとか読み切ることが出来ました。

 

この本は、高村薫さんが毎日新聞に20178月から20187月までの一年間連載されていたもので、今年7月に単行本として出版されたばかりです。合田雄一郎刑事のシリーズで第6作ということらしいのですが、それぞれ特に内容が連続しているという訳ではありません。どちらにしても私が高村薫さんの本を読むのはたぶん初めてです。

 

ところで「少女A」と言えば、私たち世代が知っているのは、中森明菜さんが1980年代に歌っていた歌。その歌詞のなかに「特別じゃない どこにでもいるわ わたし少女A」という言葉があります。その歌詞と関係があるのかないのか分かりませんが、小説の中では固有名詞がある一人の少女のことを、ある時を境に関係者がネット上で「少女A」と呼ぶようになります。そんな特別じゃない、どこにでもいる、ちょっとだけ不良ぽい女子高生をめぐるミステリー小説です。

 

12年前のクリスマスの朝に起きて迷宮入りしていた殺人事件が、別の殺人事件で犯人が喋った何気ない証言をきっかけに動き出します。改めて当時の関係者への聞き取りが行われ、それぞれの記憶を呼び覚ましながら、当時見落としていた埋まらないパズルのわずかな断片を探していきます。まさにミステリー小説の王道を行く展開です。

 

私には全く分からなかったのですが、今の時代を映していて、この小説には随所にドラクエとかあるいは他のゲームなのか、その攻略に関わる単語が飛び交っています。少女の同級生で12年前に被疑者として一度逮捕されたADHDの障害を持つ少年が特にハマっているのですが、彼がゲームの登場人物を引き合いにして話す場面や、並外れた記憶力もまたカギを握るひと言に繋がっていたりします。

 

小説の主な舞台は西武多摩川線の多摩駅界隈なのですが、このADHDの少年が住んでいるところが埼玉県の北大宮駅から徒歩数分のアパートというもので、また彼が転職を繰り返しながらも働いているのが大宮駅界隈という設定です。実は北大宮というのは第一経営の本社が3年前まであったところで、面白いもので読んでいてリアルな風景が浮かんでくるだけに、そこから一気に親近感が湧いてきました。

 

539ページ。暴風雨も過ぎ去った深夜の静けさの中で読み終えてみると、正直言ってスッキリという訳ではありません。犯人らしき特定はされるのですが、それにしては殺人の動機としては弱すぎる気がするのです。そのあやふやさが高村薫氏の狙いなのかと思いながら、やや不完全燃焼を感じつつも久々の長編に集中力が維持できたことは、結局それなりに面白かったということなのでしょう。