第40章

今までを振り返って

物心ついた時、上の兄が私を外敵から守ってくれた事

女だてらに小さい身体なのに、男の子の子分を連れて遊んだこと、

母と二人三脚で何事にもかばい合って過ごした。中学生時代

就職して知らない人の中に怖いもの知らずで飛び込んで行った時

親にも兄妹からも自立していた四年間余り

人間は、遭遇する人が良ければ道が開けるとかいうが

本当に振り返るとそんな連続の時を過ごしてきたと思える。

何故なら、嫌な人が居なかったと言う事が、私の人生の大きな財産

人によれば石橋叩いて渡らない人も有れば。渡ればわかる的な

私のような人も多々あると思う。運もまた有ると

今思える事は。結果を掴むためにせっかちにトライしたことが

私の人生を後押し、してくれたと思う。今も子供たちには、

何でも人の遣っている事は、出来る。経験がないだけで

やれば出来る事がほとんどだと、やらずに出来んと愚痴るなと

こんな発想がいつからするようになったのかと考えた時。

やはり子供の時から、とんちは、効いたと思う。

小学低学年だったと思うが、何時ものごとく村の子供を大勢集めて

ビー玉遊びをしていた時。親から、小使いを貰えなかったから、

ビー玉も買えない、今でもあるがラムネの瓶の中にビ玉が入っているのに

気が着き。近くに有った卸業者が、割れた瓶をごみと一緒に火の中に

日が落ちると、其の後を掘り返すと、何個もビー玉が出て来た。

其れを何個か持って帰り、元にして、皆の仲間に入れて貰い

技術は、天災的 笑 だったから。みな取、男の子と組んで、貯めていた。

何の切っ掛けか知らなかったけど。男の子と仲間割れして

取っ組み合いの喧嘩に、力では負けて情けなかった。

だから昔は、汲み取り便所が外に有ったから。負けても負けん私は、

女親分の権威に掛けて。皆便所に目の前で掘り込んだ

男の子は、それから私に逆らう事が無かった。悪知恵と言うか。

絶対負けん気で、掛かって来たら跳ね除けるけど、自分から遣って行く事は

しない。自分の中に正義の味方的な気持ちも強かった。

その子の親が朝母に文句を言って来た、家の子を泣かしてなんという女や

母曰く。情けない男産んで、何や女に泣かされるような男は、あかんで

今も思いだす。その男の子が私の今も仲の良い連れ。何が有っても会うと

私にくっ着いてくる。学校の卒業式の時、あんたの嫁は、

私が絶対見つける、と約束していたから、うちの会社の従業員に成って

働きだした時、約束を果たした。今は、おばちゃんも亡くなり、

子供たちも結婚し、夫婦二人の生活、年に何回かしか、顔を合す事も

無くなったが、長い付き合いの友達です。

もう一つ忘れられない思い出。おもちゃの御金を拾い。何人かの子供たちで

近くの駄菓子屋に行き。おばあさんが店番していたのが良かったのか、

悪かったのか、皆に大盤振る舞いを、ミルクキャラメル、御菓子。

一杯好き好きに買い物をして、帰って食べて居た所にその店の嫁さんが、

飛んできて、食べた物は、辛抱するからおつりだけ,替えしてって言われた。

皆でほとんど食べていたから、お金を弁償しなくて助かった。

長い事その店に行ったら、語り草にされた。

昔は、私の父も母に言わすと、私とよく似たトンチノの効く面白い

人だったとか。大きなウナギを見たと、指を丸めて大きさを示して言ったら

友達が。わしは、もっと大きなのを見たと言ったとか。父は、大きな丸を

こしらえ目ぞ、目ぞって言ったとか。そんなウナギ居る事無いのに。笑

そんな話がエピソードとして一杯ある人、だから真面目な先夫の子と

私達兄妹の親の差か、兄姉と言っても全然発想が違う。上の兄弟は、

商売はおろか、兎に角真面目にコツコツ働いて財を築いたのに、対し

私達は、商売をして自分で人生を切り開いて入った人間。上上の兄姉は。

嫌いなタイプだったと思うし何か有る度に、都合の良い、時は、利用する

扱い方をさせられた、だから兄弟のそばに寄って行きたくなかったし

行かなかった。

母は、根が商売人の娘だから。子供たちが私だけ商売気が有り、

話が合ったのだろう。お前を産んどいてよかったと良く言っていた。

そんな時母に、今の時代やったらお前やは、とっくに便所のかすやと

言ってたのにと、からかうと。慌ててなんてことを、そんな勿体ない事

言った事無いと言い返す。そんな母が大好きだった。