第17章
夫の少年野球の監督と私のサッチーの役
次男が小学三年に成った年、長男には、着いて行く間も無かったが
少年野球のチーム、池田高校出身の水野雄仁君の出身チーム
宝田ダックス、に入部、ついでに弟も二人一緒に入れる事に
スポーツの好きな二人は、とても喜んで、頑張っていた。
監督さんが同郷の人だったから。気持ち的に信頼していたのに
少しの気持ちのずれから、行き違いが有り、子供に野球を止めさすわけにもいかず、父兄と相談の結果、子守役のつもりで野球に経験のない夫が子守代わりに監督と言う名を預かる事に、仕事だけでも大変なのに、
それから約コーチ時代から言うと、10年は、やった事になる。
仕事が都合つかない時は、父兄が代わる代わりに手伝ってくれた、
私にもしわ寄せがきて、もめごとや書類関係オーダーや、
地元の大会の運営や、グランドの確保、招待チームの、連絡まで
仕事そっちのけで皆で走り回っていた。子供のお蔭で青春をしていた。
屋敷が広かったので、電線棒を譲ってもらいバッティングマシーンを
試作品をこしらえて貰い本格的な、練習場をこしらえた。
子供たちは、大喜びこんな練習場は、まず見た事が無い程立派なものだった、
ゴルフ場みたいにネットを、夫の手製、機械が有ったから出来た事と思う。
その時に出会った父兄の人とも知り合いが、沢山出来た。
よく勝負事でもめる事も有り。子供の事なのに、大人がもめる。
親馬鹿の人が監督に文句を言って来たり。人間性がもろに出て来る。
そんな時気の弱い夫に変わり、皆私が引き受けて、サッチーを笑
案外いいカッコしないから本音を言ったら皆納得して私には、トコトン言い募ってくる人は、
居なかった。中途半端に妥協は、しないから、
公平にしていたのが良かったのかも、何せボランティア―も良い所だったから
余り煩いと、今日から子守役替わろうか、と言うと解るみたい。
子供が卒業して二年御礼奉公をして後任が出来るのを待って監督を卒業した。
夫43歳私37歳の頃かな
夫の少年野球の監督と私のサッチーの役
次男が小学三年に成った年、長男には、着いて行く間も無かったが
少年野球のチーム、池田高校出身の水野雄仁君の出身チーム
宝田ダックス、に入部、ついでに弟も二人一緒に入れる事に
スポーツの好きな二人は、とても喜んで、頑張っていた。
監督さんが同郷の人だったから。気持ち的に信頼していたのに
少しの気持ちのずれから、行き違いが有り、子供に野球を止めさすわけにもいかず、父兄と相談の結果、子守役のつもりで野球に経験のない夫が子守代わりに監督と言う名を預かる事に、仕事だけでも大変なのに、
それから約コーチ時代から言うと、10年は、やった事になる。
仕事が都合つかない時は、父兄が代わる代わりに手伝ってくれた、
私にもしわ寄せがきて、もめごとや書類関係オーダーや、
地元の大会の運営や、グランドの確保、招待チームの、連絡まで
仕事そっちのけで皆で走り回っていた。子供のお蔭で青春をしていた。
屋敷が広かったので、電線棒を譲ってもらいバッティングマシーンを
試作品をこしらえて貰い本格的な、練習場をこしらえた。
子供たちは、大喜びこんな練習場は、まず見た事が無い程立派なものだった、
ゴルフ場みたいにネットを、夫の手製、機械が有ったから出来た事と思う。
その時に出会った父兄の人とも知り合いが、沢山出来た。
よく勝負事でもめる事も有り。子供の事なのに、大人がもめる。
親馬鹿の人が監督に文句を言って来たり。人間性がもろに出て来る。
そんな時気の弱い夫に変わり、皆私が引き受けて、サッチーを笑
案外いいカッコしないから本音を言ったら皆納得して私には、トコトン言い募ってくる人は、
居なかった。中途半端に妥協は、しないから、
公平にしていたのが良かったのかも、何せボランティア―も良い所だったから
余り煩いと、今日から子守役替わろうか、と言うと解るみたい。
子供が卒業して二年御礼奉公をして後任が出来るのを待って監督を卒業した。
夫43歳私37歳の頃かな