第13章

新地での仕事と女の子の誕生

新築に二回目に入った。前の家は、新築でも建て廻しの様な規模だったが

本格的に建てた家は、荒削りでも満足の行く物だった。

自分で設計と間取りをして、完全と思い掛かるとやはり不便なところもあり施工途中で変更しながら、建てた。

屋根もどの角度から見ても格好良く見えるように考えたりもして、

ハブは。総檜、家の中は、客間と仏間は、社長の厚意で桧の柱を使い

後は、総地栂便所は水道工事専門店らしく、その時一番高いシャワートイレ

阿南でも何軒もしていない機種も見本にと思いつけて見た。

便所の数四か所。そこは、専門家だから、至る所に水道だらけ

引き放題に配管して有った。男の子三人だったから、大変だったけど

意外と落書きの少なかった家と思う。一度息子が相撲を取っていて

新築のふすまに足を突っ込み、大きな穴をあけサロンパスで隠してあったのには、呆れた事が。言い訳に「サロンパスはってあるから直に治る」さすが私の息子怒る気にも成らなかった。

地域にも慣れ、地域の役員をする頃、迷っていた女の子がどうしても欲しく

迷っていた時。実家の母に相談すると、「これ以上苦労するから諦めと」言われた。

北海道に結婚して引越ししていた兄に聞くと、「男腹のお前に女の子なんか

出来るか」なんて言われたし、義母には、「誰が見るんで、私は嫌」と言われた。

迷っていた時あの占いの人を思い出し訪ねてみた。「わしは、専門でないから

調べて手紙で知らせると」言って呉れ、後日葉書きが、

なんと52年11月何日と53年
1
月の子が女の子と言われ、

最初の日は、決心がつかず53年1月8日、この日に出来なかったら、諦めようと

何と、ピッタシかんかん。あの決心が無かったら女の子は、産まれていなかったと思う。

母は、「出来たんだったら大事に身体を気をつけよ」と言ってくれた。

女の子の時もお医者さんに「あれだけ産むなと言って有った人やろ知らんぞ何が有っても、」

母に変わって付き添ってくれた姉のそばで、うんうん言ってる私に

お医者さんが「何人目な。こんなにうんうん言ってと嫌味を言ったら」

「男のアンタに子供産んだ事が無いのに何が解るんで」と姉が反論

止めるに止めれず可笑しいのと痛いのにまいった。促進剤を何本も打ち、

これが最後、子供の保証は出来んとまで言われた時

最後の力を振り絞ったのが良かったのか無事出来た。

三人目の子の時は。病院にも中々顔を見せなかった夫が

女の子が出来たと言うと、飛んできて。自転車で町中に触れ回ったとか

今もその時の事を語り草のごとく、よくあの時できた子、大きく成ったで」

と聞かれる。私の厄年の時の子供。

男の子の時と違って、華やかな色の着物や可愛い服、一遍に家の雰囲気が変わった感じがした。

六歳違いの子供だから、皆新しく買いそろえなければいけなくて大変だった。

新しい家に成って出来た子供、新築三年目の全町運動会の日の子供でした。