第12章
母に反対された、新築工事
有る夜の事。夜中に食堂に水を飲みに行くと、足の裏に気持ちの悪い感触
電気を付けると、なんとナメクジが、畳の上に
ナメクジは、(夜中にじめじめしたところに出て来るとか)
ぞっとして、一遍にこの家を出たいと思った。
あくる日銀行に家を建てたいから、お金貸してと言ったら
内の銀行に、実績ありますか。御金いくら預金していますか、のような事を言われ、「若いのと御金が有ったらお金やかりに来るかい」と思い、腹をたてて帰った事が。それから二年程実績を付けることに
そんな時少し信用が着いたのか、銀行からお金を借ってくれと言ってきた。
そうなったらしたもので、住宅金融公庫、重機購入資金、何でも名目を付け
お金を借り、まず手持ち資金100万しか使えるお金も無いのに
建売業者が叩いて安くなっていた土地に、少し色を付けて。大きく頭金を
渡した。350坪2780万,大阪の義兄(大阪で建築業をしていた)に頼み
半分買ってもらい。道を入れて175坪その土地を担保に
家を新築する計画、月22万位のローン。夫に相談すると
「いけるんか」「うん」「ほな建て」こんな会話だった。
母に言うと、絶対反対
「お母ちゃんが何ぼ度胸が良くても、お前は、此処の嫁やから」
「もし潰れるようなことに成ったら顔向けできん」母に似合わん言葉
私と来たら、「お母ちゃん人間裸で生まれて来たんやから、あかんかったら裸に成ったらええやんか、」実家の兄さえ保証人に成ってくれんかった。
この時は、さすがに参った。保証協会に頼み補償金を払い保証人に
土地を買ってすぐ、建築屋をだれにするか考えた。
夫は、気安い人に頼んでと近所の大工さんの名を挙げたが
私は、違う、これから仕事をくれる建設屋でないと家のローンが払えんから
今一番よく仕事を、している会社に頼むと言って、建築屋さんに尋ねて行った。
社長は、阿南でも有名な誠意のあるいい仕事をしていた会社で
お施主さんを何軒も待たしているような会社、「社長さん実は、お金が無いから二階建を建ても一階だけしか、造作が出来んけど、良いですか
何と社長が、「奥さん一遍に仕上げな、二度手間でお金が余計かかるから
自社の水道工事で、お金を支払うようにしてあげる。」
ヤッター天にも昇る気持ち
建てるようになると、母も皆が協力体制に、当時お餅投げをして
どんなにお金が有る家や、みたいな感じで新築が、昭和49年着工50年
お正月に引越して年明けを迎えた。
仕事をするのもまず来ているものから、大きな家に事務所や広い敷地に駐車場
お客さんが、安心して任せると計算。見事に当たり、どの人も内情は、解らないけど、姿形は、立派やったから。信用は、得たと思う。
建設ブームの真っただ中。仕事は、身体がついて行かんくらい有
何と五年で家と土地の借金は、完済。する間もなく土地を買い、叉借金と
繰り返し五年毎資産を増やして行った。結局私が60歳を過ぎるまで、
借金から縁が切れなかった、土地は、自宅175坪、210坪、114坪60坪
値打ちが余りないが雑種地1500坪共同で買った。
学歴の無い二人が頑張って何もない所から築き上げた、資産と言えるものです。
ユンボもチャーターから自分のユンボを買い小さいのから大型まで何台も買い換えた、
覚えているだけで10台は、今あるだけでも三台ほかにダンプも
最初は、中古から新車まで。レッカー、軽四の作業車、軽のバン自家用車
安いのからローレルまで、何台乗り換えた事やら、お金に概算したら
凄いものだ。良く夫と家のごみの一つも皆二人で作ったものばかりだと。
たまに眺めながら言う事が。