病院のお見舞いに行く途中、信号待ちで外を眺めているとキリスト教会があった。『へぇ〜こんな所に教会がある』と、よく観察していると、なんと電信柱ではないか。
私は学生の時から“隠れないキリシタン坊主”と言っていたが、過去世からキリスト教とは何らかの縁があったのだろう。若い時から教会と縁があり、独立してからは隠れキリシタンが信仰の対象とした“マリア観音像”にも縁があった。
常日頃から会話の中で『釈迦やイエスが説く教えは同じ、なぜなら真理はひとつだから』これは宗派に縛りのない私は、生涯変わることのない口癖です。
ヨハネによる福音書15章16節には「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなた方が実を結び、その実が残るよう」
坊主の使命はここにあると確信し、心のモヤモヤが吹っ切れたようです。