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「罰が当たるぞ」と悪態をつく高僧に、罰は当たらないのか。この時の「罰」は誰から受けるの?この高僧はおそらく「仏罰」「神罰」を指したのだろうが、神仏は罰をあたえない。

神仏は慈悲深く、どんな人にも平等に慈悲の光を与えている。よく太陽の日差しが分け隔てなく、全ての人に平等に与えられることに例えらる。

日頃から言動に問題がある人は、人から嫌われ友人も少ない。それが「罰」です。罰は自分がつくり、自分が受けるのです。

この新聞には、「強情な寺社を“落とす”ため、税務署が狙うのは、石材店や葬祭業者、生花店・・・」とあるが、リベートを要求する僧侶や、その逆で業者がキックバックを貰うパターンもある。それも「罰」なのです。