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法事の食事にうかがったホテルから当寺の別院を眺める。温泉の湯気や酸性雨で銅版屋根が腐食していく。その時は建てかえですね。


インド独立の父であるマハトマ・ガンディーは.「キリストは好きだが、キリスト教信者は好きではない。キリスト教信者はキリストのようではない」う~ん実に厳しいお言葉だが、確かにそれはいえる。
 

これを仏教版にすると「釈迦は好きだが、仏教徒は好きではない。仏教徒は釈迦のようではない」


確かに現在の日本仏教は、釈迦の説かれる法(真理)を歪曲した葬式仏教と化している。
 

檀家の方からすると「仏教は好きだが、寺は好きではない。寺は仏教のようではない」いや、もしかして「寺は好きだが、住職は好きではない。住職は商売人のようだ」かもしれない。