突然ですが、日本史の問題です。
「鎌倉幕府ができた年は?」

「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」
ですから、1192年と憶えてますよね。

でもいまは1185(いいはこ)年とする説が有力のようです。

1192年に頼朝は征夷大将軍になったのですが、1185年に守護・地頭を設置して実質、日本を支配したというのが新しい考え方です。

せっかく語呂合わせで憶えたのに、無駄になった感じですね。
およそ10年ほど前からすでに1185年説に傾いています。

1192年でもまちがいとはいえないので、この問題は試験に出ることはもうないでしょう。
ただしこれからも「日本史の常識」が変わることがありそうです。

先日、文部科学省が新しい指導要領案を発表しました。
それを見ると歴史では「聖徳太子」が消えそうです。

聖徳太子のという名前は、没後100年ぐらいの書物で紹介されたキラキラネームのようなもので、正しくは「厩戸(うまやどの)王」といいます。

当分は聖徳太子も併記されますが、将来は消えて厩戸の王になるでしょう。

ほかでは「鎖国」ということばも消えて「江戸幕府の対外政策」になります。
長崎を窓口として海外との交易があったから、というのがその理由です。

「鎖国」ということばのイメージもよくなかったので変えたかったんでしょうか。
でも「幕府の対外政策」ではピンと来ませんね。

この指導要領は小学校で2020年(中学校は2021年)から実施されるとのことです。


さて、今回からは「論文の書き方」です。
論文といっても学術論文のことではないのでご安心を。

参考書はその名もズバリ『論文の書き方』(清水幾太郎 岩波新書)です。
著者は故人ですが、日本を代表する社会学者といえます。

中学3年生のとき、自分の一生を社会学に捧げようと決心したというすごい人です。

清水は本書の中における「論文」とは「知的散文」といった意味だと書いています。
ですので、みなさんのブログも大まかにいえば知的散文になるので大丈夫です。

「まず短文から始めよ」と説いています。

著者は大学時代にバイトも兼ねて、ドイツ社会学の文献を1000字にまとめて紹介する仕事をしていて、これがとてもよい文章修業になったそうです。

文献にはとても長いものもあり、これを1000字(400字詰め原稿用紙2枚半)にコンパクトにまとめるのは、けっこうたいへんです。

もう、あっというまに1000字を超えてしまうはずです。
そこからよけいなものを削らないと収まりません。

私も以前書評の仕事をしていたので、よくわかります。
どんな分厚い本でも、1200字ぐらいで紹介しないといけません。

読み進めながら「このあたりの記述は使えそう」を付箋を貼っているうちは快調なのですが、それを全部採用すると、はみ出し必至になります。

どれをピックアップするかがポイントになってきます。
つまりはよけいなものを捨てていく作業です。

でも、そうすると「ああ、こういう本だったんだ」と初めてわかるような気がします。





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