こんばんは、ダイゴパパです。
週末の静かな夜、
どんなお休みを過ごされましたでしょうか。
来るべき一週間に備え、
温かいコーヒーでも飲みながら、
ほっと一息ついている時間かもしれませんね。
前回は、
冷たい「システム」と
温かい「生活世界」の境界線に立つ、
僕たちの「身体」についてお話ししました。
矛盾や摩擦を一身に引き受けながら、
ギターのボディのように
他者と共鳴し合う
「境界連結者
(バウンダリー・スパナー)」
としての姿。
少し頼りない看板を掲げ、
現場で汗をかきながら
世界を繋ぎ合わせる
僕たちの身体には、
新しい何かを生み出すための
大切な「余白」が隠されている、
というお話でした。
さて、
これまで皆さんと一緒に
ゆっくりと泥濘(ぬかるみ)を
歩くように深掘りしてきた
「ソリューション営業とは何なのか」
というテーマも、
いよいよ今回で一つの区切りを迎えます。
確たるライセンス(資格)を持たないまま
「四つの顔」を使い分け、
生身の「身体」を担保にして
境界線に立ち続けてきた僕たちは、
最終的に現場で
どんな価値を生み出しているのでしょうか。
それは一言で言えば、
乾いた数字や単なる「機能」を、
目の前の人の人生に寄り添う
「意味」へと翻訳していく、
モノに「命」を吹き込む
魔法のような作業なんです。
「引き剥がされた数字」を、もう一度人間関係の中に埋め込み直す
ここで、現場の一場面。
僕は大勢の介護職員さんの前で、
「このソフトを使えば、
入力が5分短縮できます」
と伝えます。
これは単なる「機能の説明」です。
側から見れば、
これがスマートな
「ソリューション提案」
というやつかもしれません。
でも、あえて
「この5分で、あそこの利用者様の
話を聞きに行けますよ」
と伝える。
これは「意味の創出」です。
この「5分の短縮」という
乾いた数字が、
目の前の人の人生にとって
どんな物語に変わるでしょうか。
以前、
僕の新卒時代の思い出をひもといた時、
現場の「暗黙知」
という言葉をご紹介しました。
身体的記憶という名の「暗黙知」
あの、
言葉にならない
経験則の価値を提唱したのが、
哲学者の
マイケル・ポランニーという人でした。
実は、
これからご紹介する
経済学者のカール・ポランニーは、
そのマイケルの実のお兄さんなんです。
弟のマイケルが
僕たちの内なる「知性」を
肯定してくれたのだとしたら、
兄のカールは、
僕たちが日々戦っている
「市場」の冷たさと
どう向き合うかの
ヒントを遺してくれました。
兄弟揃って、
営業のモヤモヤに
これ以上ない鮮やかな
補助線を引いてくれているなんて、
なんだか不思議な心強さがありますよね。
そのお兄さんである
経済学者のカール・ポランニーは、
人類の歴史を振り返りながら、
本来、人間の経済活動というものは、
社会的な人間関係や
共同体のルールのなかに深く
「埋め込まれて(embedded)」
存在していたと説きました[1]。
お金の損得勘定だけで
取引をするのではなく、
「お互い様」や「助け合い」という、
生身の人間関係が紡いだ温かい毛布に
経済が包まれていたんです。
ポランニーはこれを
「互酬(ごしゅう)」とも呼びました。
しかし近代になり、
すべてのモノに価格がつき、
効率だけで回る「市場経済」が登場すると、
経済は人間関係から強引に
「引き剥がされ(disembedded)」
てしまいました。
社会の都合よりも、
数字やデータの都合のほうが
大きくなってしまったんです。
カタログ販売のように、
出来合いの汎用品を、
スペックと価格の安さだけでやり取りする。
それは、
まさにこの「引き剥がされ、
社会から自立してしまった市場の論理」
そのものです。
そこには僕たちの「身体」が
介在する余白はありません。
僕たちが
ビジネスシーンで日々耳にする
「ソリューション営業」という言葉は、
しばしばこの
「引き剥がされた冷たい数字」
だけで顧客に迫ろうとします。
「これを入れたら
人件費がこれだけ削れます。
これが最適解です」と。
けれど、
僕たちが対面している
介護の現場は、
今でも強固に
「人間関係のなかに
生活が埋め込まれている場所」です。
施設長や職員の方々が
抱えている本当の悩みは、
効率の計算式なんかではありません。
「新しい仕組みを入れることで、
職員さんたちのプライドや、
ご利用者さんとお茶を飲むような
温かい時間がギスギスしたものに
変わってしまうのではないか」
という、
言葉にならない
文脈の綻び(ほころび)なんです。
だからこそ、
僕たちがやっている
「ソリューション営業」は、
単なる汎用品のドライな「交換」
であってはならないと思うのです。
顧客の現場の苦悩、
職員の離職問題、
経営者の理念といった
「相手の社会世界」に
営業パーソン自身が
深く入り込み、
まず
「信頼・共感・共通言語」という
人間関係の土壌(埋め込み)を
意図的に再構築していく。
すぐに見返りを求めない
「雑談」や
「おせっかい」という名の
「互酬」を交わしながら、
冷たい市場行為であるはずの
「契約」を、
温かい関係性の
インフラの中に着地させる。
だとしたら、
僕たち営業の仕事は、
自社の冷たい数字の論理で
相手の現場を
上書きすることではないはずです。
むしろ、
顧客の「埋め込まれた世界」
の隣に座り、
無機質なシステムを
彼らの人生にとって
大切な「意味」へと
翻訳してあげること。
つまり、
引き剥がされたテクノロジーを、
僕たちの身体(声や表情)を使って、
もう一度人間関係のなかに
「埋め込み直す」こと。
それこそが、
ただの物売りとは決定的に違う、
本当のソリューション営業の
正体なのではないでしょうか。
カール・ポランニー - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BC
不明 - https://www.greenleft.org.au/content/evaluating-karl-polanyi-%E2%80%94-contradictory-vital-economic-thinker, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=77543586による
役に立つ「機能」を超えて、顧客の人生に「意味」を創り出す
僕たちが売っている製品は、
放っておけばただの「物体」です。
社会学者の今田高俊さんは、
現代社会においてモノの価値は
「役に立つか(機能)」だけでなく、
そこにどんな「意味」があるかに
移っていると説きました[2]。
僕たち営業は、
無機質な製品に、
顧客の人生という文脈を編み込み、
特別な「シンボル(記号)」
へと変えていく。
この「意味を編む作業」の
積み重ねこそが、
信頼の正体なんです。
従来の
「物売り(プロダクト営業)」は、
あらかじめ決まった「システム(製品)」を
顧客という環境に無理やり当てはめるだけの、
いわば受動的な「適応」のプロセスでした。
けれど、
僕たちが日々向き合っている
ソリューション営業は、
まったく違います。
客先で施設長や職員の方々と
対話を重ねる中で、
それまでお互いに
明確に言語化できていなかった
「真の課題」と「解決策」が、
ある瞬間、
突如として目の前に立ち現れてくる。
これは外部からの強制ではなく、
関係性の泥濘(ぬかるみ)の中から
自律的に新しい秩序や意味が生まれる、
極めてエキサイティングな
「自己組織化」の場なのです。
営業とは、
顧客と共に
新しい意味を発見する
「共同探究」の
プロセスそのものなんです。
さらに言えば、
この仕事は単なる
ソフトの販売(等価交換)ではありません。
僕たちベンダー側が持つ
「ITの技術」と、
顧客側が長年培ってきた
「介護現場のドメイン知識
(運用ノウハウ)」
を掛け合わせることで、
ゼロサムゲームではない、
全く新しい業務フローや
価値を一緒に創り出していく。
排除し合うのではなく、
異質なもの同士が結びついて
新しい価値を生む、
今田さんの言う
「シナジー(相乗作用)モデル」
がここにあります。
僕たち営業パーソンは、
自社と顧客の境界線上に立ち、
双方の資源を結合させる
「シナジーのエージェント(媒介者)」
でもあるのです。
少し角度を変えて、
僕たちが日々直面する、
他社とのコンペティション(競合)。
それは一見すると、
単なる「価格の叩き合い」や
「スペックの奪い合い」のような、
泥臭いゼロサムゲーム
に見えるかもしれません。
けれどこれも、
今田さんの理論をここに導入すると、
競合局面の景色がガラリと変わります。
ソリューション営業における競合とは、
単なるシェアの奪い合いではなく、
「顧客の社内秩序(システム)を、
どちらがより高度に自己組織化できるかという、
秩序形成の主導権争い」
なんです。
従来の
「物売り(プロダクト営業)」や
競合他社が提案するのは、
往々にして
「今の業務に合わせた、
そこそこ安価なソフト」です。
それは顧客にとって
耳ざわりがよく、
痛みを伴わない
「心地よい現状維持
(環境への受動的適応)」
に過ぎません。
対して、
僕たちが提案すべきなのは、
今のやり方を盲従することではなく、
「未来の介護経営を見据えたDX」
という構造変革です。
システムが
古い殻を脱ぎ捨てて、
新しい秩序へと
移行(構造的変動)するためには、
外部からの刺激や
「ゆらぎ(動揺)」が
絶対に必要になります。
僕たち営業パーソンの役割は、
顧客の社内にあえて
「前向きなゆらぎ」を発生させ、
創造的破壊を伴う
新しいステージへの脱皮を促す
「引き金(トリガー)」を
引くことにあるのです。
そうして顧客と
対話を重ね、
組織に前向きな
動揺を起こしていく中で、
それまでお互いに明確に
言語化できていなかった
「真の課題」と「解決策」をあぶり出す。
これこそが、
外部からの強制ではない、
「自己組織化」のプロセスなんです。
先ほど述べたように
営業活動とは、
ただの販売ではなく、
顧客と共に新しい世界を立ち上げる
「共同探究」の場そのものなんです。
他者を排除する
排他主義(ゼロサム)ではなく、
異質なものを取り込んで
高次の関係を築く
「シナジー(相相乗作用)モデル」。
「ITの技術」と、
「介護現場の運用ノウハウ」という、
一見相容れない
異質な資源を排除し合うのではなく、
「シナジーのエージェント(媒介者)」
として包摂し、結合させること。
そのとき、
双方の強みが掛け合わされた、
全く新しい
「価値共創(バリュー・コ・クリエーション)」の
業務フローが生まれるのです。
かつてマックス・ウェーバーは、
近代化の本質を、
効率と合理性が世界を覆い尽くし、
神秘的な温もりが失われていく
「世界の脱魔術化」として描きました。
「5分短縮できます」
という乾いたデータで
現場を管理しようとするのは、
まさにその脱魔術化の最たるものです。
けれど、僕たちが
「この5分で、
あそこの利用者さんの話を
聞きに行けますよ」
と語りかけ、
システムに新しい意味を宿らせるとき。
それは、
効率の論理によって
冷たく脱魔術化されてしまった
介護の現場に、
もう一度、
人間的な温もりや物語を紡ぎ直す、
いわば「日常の再魔術化」の試みなのです。
僕たちが売っている製品は、
放っておけばただの「物体」であり、
冷たいデータの塊です。
けれど、
僕たち営業は、
その無機質な製品に
顧客の人生という文脈を編み込み、
特別な「シンボル(記号)」
へと変えていく。
ソリューション営業とは、
単に便利な道具を売ることではありません。
顧客の不透明な日常の中に、
新しい「意味」を吹き込み、
未来への「物語」を一緒に編み上げること。
それは自社の「閉じた論理」を
「生きる現場」の言葉へと翻訳する、
極めて高度な「知の翻訳者」としての営みです。
僕たちが21時過ぎに資料の図解にこだわり、
パソコンの画面を叩き直してしまうのは、
その「意味」を、
そして「再魔術化された世界」を
少しでも正確に、
体温を持って届けたいという、
専門家としての
美学ゆえなのかもしれません。
ピエール・ブルデューの言う
「ハビトゥス」は、強固です。
現場の人々が長年積み上げてきた
「やり方」を変えるのは、
並大抵のことではありません。
そこに外部の論理を押し付けるのは、
ポランニーの言う
「引き剥がされた経済」の暴力であり、
ブルデューの言う
「象徴的な暴力」になりかねません。
だからこそ、
僕たちは相手のハビトゥスを尊重しつつ、
その内側から新しい意味を編み上げる
「翻訳者」であり、
価値を共創する
「シナジーの媒介者」でなければならない。
それは、
AIには絶対に真似できない、
極めて人間的で知的な格闘の跡なのです。
シンボル - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB
NSF/Josh Landis, employee 1999-2001 - http://photolibrary.usap.gov/Portscripts/PortWeb.dll?query&field1=Filename&op1=matches&value=cer3.JPG&catalog=Antarctica&template=USAPgovMidThumbs (direct link), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=458497による
身体に刻まれる「目に見えない資産」
さて、
そうやって積み上げた信頼は、
どこへ行くんでしょうか。
ブルデューは、
人間にはお金(経済資本)以外にも
大切な「資本」があるとも言いました。
それが「社会関係資本
(ソーシャル・キャピタル)」です[3]。
僕たちが客先で、
商品とは直接関係ない
相談に乗ったり、
一緒にトラブルを
乗り越えたりするとき。
僕たちは目に見えない貯金箱に、
チャリンと「信頼」を貯めています。
「あの人が言うなら、一度信じてみよう」
そう思ってもらえる関係性は、
会社を辞めても、
製品が変わっても、
僕たちの「身体」に
刻み込まれたまま残る、
最強の資産なんです。
僕たちは単に「売っている」のではない。
顧客と一緒に新しい
「意味」を編み上げ、
目に見えない「資本」を蓄え、
お互いの存在を「承認」し合っている。
営業職というのは、
実はこの社会を動かす
「信頼という名のインフラ」を
作っているエンジニアなんです。
専門職という名の自負を、再び
「営業」という看板には、
お医者さんの白衣のような
権威はないかもしれません。
けれど、
ギデンスの言葉を借りれば、
僕たちは複雑な社会システムの
「アクセス・ポイント(接触面)」です。
どれほど高度なITシステムも、
それだけでは顧客に
「安心」を届けることはできません。
僕たちという「生身の人間」が、
そのシステムの窓口として現れ、
汗をかき、
責任を引き受けるからこそ、
システムは社会に受け入れられる。
僕たちの身体は、
冷たいテクノロジーや数字の世界に
「体温」を宿らせるための、
たった一つの装置なのです。
最後に、少しだけエモーショナルな話を。
なぜ僕たちは、
そこまでして誰かと
信頼を築きたいんでしょうか。
数字のため?
もちろんそれもあるけれど、
もっと根っこには
「認められたい」という
願いがある気がします。
ドイツの哲学者
アクセル・ホネットは、
人間が自分を価値ある存在だと
感じるためには、
他者からの「承認」が
不可欠だと言いました[4]。
顧客から
「あなたにお願いしてよかった」
と言われる瞬間。
僕たちは単に
仕事が完結しただけでなく、
社会の中での居場所を肯定され、
自分という人間を少しだけ好きになれる。
営業という仕事は、
実はこの「承認」をめぐる、
とても切実で、
尊いやり取りの最前線にいるんです。
小金井公園で、
叔母の手を離れて走り出した娘の自転車。
あのとき、
彼女を支えていたのは
「自転車の構造」という知識でも、
「補助輪」というソリューションでも
ありませんでした。
後ろで支え続け、
ある瞬間に「行ける!」と
信じて手を離した、
叔母の「身体的な信頼」
そのものです。
「ソリューション」
という言葉は、
しばしば
「これさえあれば大丈夫」
という、
他力本願な安心感を与えてしまいます。
でも、
本当の解決は、
そんな清潔なパッケージの
中にはありません。
顧客と共に泥濘(ぬかるみ)を歩き、
四つの顔を使い分け、
システムの論理を
生活世界の言葉に翻訳し続ける。
その終わりのない
プロセスそのものが、
僕たちの選んだ
「専門職」としての生き方なのです。
明日、
名刺を差し出すときに
「自分はただの営業だ」と
卑下しそうになったら、
思い出してください。
あなたは今、
組織の境界線に立ち、
世界を少しずつ翻訳している、
唯一無二の
「バウンダリー・スパナー」です。
看板は、
頼りなくてもいい。
その「頼りなさ」こそが、
相手に寄り添い、
共に形を変えていける
僕たちの「強さ」なのですから。
夜も深まってきました。
今夜は、
自分の「四つの顔」のどれが一番自分らしいか、
そっと自分に問いかけてみてください。
先週も1週間、本当にお疲れ様でした。
また来週も、ボチボチ頑張っていきましょう。




