ダイゴマンの輪道

ダイゴマンの輪道

2011日本縦断達成!2012年オーストラリア東岸縦断達成!
自転車乗って、走って走ってときどきこけて、
それでもまだまだ走る!
まだまだパワーアップする若年妄想暴走サイクリストの活動記録。

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南西オーストラリア横断 ファイル5 雨・風すり抜けて 編 キンバ~ポーチャ


8月16日
朝六時に起床。目覚めはテントがバタつく音。いびつなテントから、フライシートが外れかかっていた。
手早くヌードルを煮て、朝食、準備を済ませて八時には出発する。撤収時に触ってみると、テントのフライシートが濡れている。空気がいくらか湿っているのだろうか
走りだしは追い風、これは毎度のことだが、一通り丘を下ると様相は一変する。青空を背に、僕はどす黒い雨雲と対峙した。下り斜面で大地を見下ろすと、雨の壁が見える。自分がいるのは青空の下で、目の前100mはその青空が照らす世界、その光に照らされた鮮やかな立木の背景は灰色の雲、黒い草原だ。異常な光景を目にすると同時に、風が一気に強い向かい風になり、空気が湿り気と冷気を帯びる。雨がくる。すぐさま停止してレインウェアに身を包む。次第に日は陰り、雨の傘の中に入る。強くはないが、大粒の冷たい雨だ。
平原の雨はわかりやすい、迫る雨の壁は見えやすく、また、雲が停滞することがないのでさっぱりと通り過ぎる。一連の雨は一時間もすると止んだ。しかし、まだ遠くにそれらしき気配がある。側道の木々の間から平野を見ると、明らかに空気が霞んで草の色が違う部分がある、そこに雨が降っているのだ。雨中のサイクリングは続く。
十一時、ガウラーレインジという現在横切っている国立公園、そこを冒険をした、ダルケという冒険家の記念碑を見つけ、そこで記念撮影をする。ガウラーレインジ、そしてハイウェイを一望する素晴らしい場所だった。ここは内陸、エアペニンスラという半島の根っこだ。
その後の道は丘、のぼり下り。その途中、サイクリストに出会った。ナラボー横断をしてきたという、サイドバッグを装備したクロスバイクに乗っている男性だった。彼のいうことには、相棒が後ろにいるらしい。しかし、出会ったのは、彼の相棒だけでなく、多くの軽装なサイクリストたちであった。イベントか何かだろうか。皆、雨の中を、楽しそうに走っている。そんな姿を見いていると、こちらも元気になってくる。構わずレインウェアを脱ぎ、身軽になって走り出す。雨は冷たいが、動けばどうということもないし、対向車線には度々笑顔のサイクリストがいる。淀んだ空と湿った空気が、強い風の中でかき乱される中、ひたすら内燃機関に火を灯して走った。
午後一時には、ロードハウスがある街につく。とはいっても、ロードハウスと巨大なサイロ以外には何もない街だ。とりあえず、好物のチョコレートミルクとチキンロールで昼食とする。
そこから次の街、ウディナに到着したのが午後三時半。風と丘と雨と、非常に苦しい要素が多かったものの、無事100km以上の行程を終えることができた。
その日は、悪いくせが出て、モーテルに泊まるだけでなく、夕食にステーキまで食べてしまった。頑張ると贅沢がしたくなる。まあ、モーテル泊まりは、強風を懸念して、補修の不十分なテントでは不安があったため、ステーキ食はたまたま「ステーキナイト」で安くなっていたから。。。なのだが。。。。
夜には、リスニング訓練としてテレビを見た。昨年走ったルート上のバンダバーグという都市での、サトウキビ栽培に関する慰霊行事のニュースらしかった。誘拐同然で連れてこられて労働をさせられたメラネシア系の人たちを扱ったものだった。


8月17日

七時に起床。モーテルの朝。修繕したテント類を始め、パッキングを済ませて出発したのが八時半。毎度手際が悪い。もともと荷物が多いものを整理するのに長けている訳ではないから、慣れてしまえばミニマムな装備に割り切ってしまった方が自分の場合はいいらしい。
出発後、すぐにロードハウスで食事にした。ベーグルとエナジードリンク。あまりヘルシーではないが、手早く済ませる。
空は快晴。しかし、猛烈な向かい風に阻まれ、時速10kmから15kmでの走行がやっとだ。時速15kmで巡行するのに、時速30km以上を維持するような負荷がかかる。大荷物でなければこんなこともないのだろうが、今回はフロントにサイドバッグも装着している。当然といえば当然か。
ここ最近ずっとの登りと下りを繰り返すが、やはり下りでは休めない。向かい風のせいだ。
このエアペニンスラ。かなりの田舎のようだ。というより、これが大半のオーストラリアの姿なのだろう。長い道、ポツリと100kmに一つほどの街、ロードハウス。観光のパンフレットに載っているオーストラリアは偽物だ、少なくとも僕にとっては。
昨年のブルースハイウェイでも、同じような感覚を抱いたが、クイーンズランド州はまだまだ都会で人も多かった。ここは人も少ない。
十二時には40kmを走り、休憩とする。立ち寄った街のロードハウスは休みだ。買い食いではなく、自前のサンドイッチだ。ベジマイトと蜂蜜のミックス。行動中の食事はすぐに用意できて満足感がある方がいい。
休憩中におじさんと話す。やはり心配されるのは水の話だ。20lの水タンクを持っていると言ったら、おじさんは心配ないなとうなずいて、自分のキャンピングカーに帰って行った。オーストラリアではキャンピングカーのことをキャラバンという。このキャラバン、プレハブ一軒ほどの大きさがあるが、それを車で引っ張って旅をしている老人がオーストラリアには非常に多い。一方、若者はだいたい古い乗用車やバンにテントを積んで旅をしたり、仕事探しをしている。乾いた大地、大きく深く根を張る植物が少ないように、多くの人も根を貼らずに自由に動いているように思う。
休憩を終えて、走りだし、午後二時半には隣町のポーチャに着く。移動距離は僅かに70kmだが、ナラボー入り前には街を起点に動こうと考えていたので、この街で一泊することとした。
まず立ち寄ったのがロードハウス。気のいい女性の店員さんと、よく話す夫婦の客がいた。そこで、スープとパン、ステーキサンドを食べた。女性の店員さんは、恰幅のいい中年女性で、食事をまけてくれただけでなく、雨水タンクの水まで汲ませてくれた。女性いはく、行政が供給する水道水は不味くて飲めたものではないらしく、雨水の方が美味で好まれるらしい。この時期は雨が多く降るので、水も豊富にあるが、乾季には水が枯れてしまうので、しぶしぶ水道水を飲むらしい。
テントを張ったのは、パブの横のキャンプエリア。テントを貼ったあとには、パブで久しぶりのビールを飲んだ。とてもうまい。そして、パブに集まる地元の人たちとも話した。どうやら、向かい風は毎日強いらしいことが分かった。よかった。話を聞く前には、どこか風が弱まるのを期待している自分がいたが、酒と語らいと、そして何より風は止まないという事実が自分に腹をくくらせた。
パブを出て、空気が冷えて落ち着いた大気に触れる。空気は乾いている。これが、日が出て気温が変わると豹変するのだ。それは当然のことなのだ。期待せずに行こうと決め、眠りについた。