http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20120303_01.htm

東日本大震災の被災地で、地域医療の最前線を担う「かかりつけ医」の再建が遅れている。将来展望が描けないな どとして、現地での再開を断念する開業医が多いためだ。特に宮城県の気仙沼医療圏(気仙沼市と南三陸町)は、震災後に休廃止となった診療所が3割に上って いる。診療所に対する公的な支援が薄いことも、再建の歩みを鈍らせている。

◎復興遅れ住民離散/重い借金、手薄な支援

<壊滅した町>
 真新しい待合室で再会を喜ぶ声が弾む。「久しぶり」「家族は元気か」。みんな震災後に故郷を離れた南三陸町の住民だ。
 登米市迫町の「ささはら総合診療科」。震災前に南三陸町の開業医だった笹原政美さん(65)が昨年12月、開院した。場所は同町の被災者が暮らす仮設住宅の近く。「私のように町を離れた町民たちにとって、サロンのようになっている」
 志津川湾から200メートルの距離にあった診療所は、津波で流失した。北海道出身。30代から50代まで公立志津川病院に勤めた。自分を育ててくれた地域に恩返ししたいと、2005年に独立した。
 町への思いが強い笹原さんですら、壊滅的な姿に「帰りたい」と思えなかった。「町の将来像がどうなるか分からない。復興を待つより、町外の仮設で暮らす住民のためにできることをしたい」と移転を決めた。

<勤務医転身>
 県によると、震災後に休廃止した病院・診療所は沿岸で72カ所。気仙沼医療圏では震災前に75カ所あった診療所のうち、休廃止は24カ所に達する。うち10カ所の医師は廃業後、登米市、名取市など圏外で開業したり、勤務医になったりした。
 気仙沼市、南三陸町ともに復興計画が本格化するのは4月以降。土地のかさ上げなどを待つと、現地で再開できるのはしばらく先になりそうだ。
 「ずっと勤務医でしょう。気仙沼に帰るのは菩提(ぼだい)寺の墓に入るとき」。昨年5月、気仙沼市の開業医から登米市民病院の勤務医に転身した内海由也さん(53)は、胸の内を明かす。
 故郷で開業する夢がかなって、わずか4年だった。気仙沼市仲町の「うつみ医院」は津波にのまれた。自宅も実家も失い、医院開業時のローンが残った。
 県の地域医療再生基金(394億円)は、公立病院や民間拠点病院の支援が最優先で、民間診療所は1000万円が補助の上限。再建すると、ほとんどが新たな借金になる。

<仕組みの外>
 診療所の一帯は建築制限もかかる。「もう年だし、幼い子どもが3人いて借金も返さなければならない。住民が戻るかどうかも分からない中で、新たにローンは組めない」と内海さんは話す。
 政府は二重ローン対策として、金融機関が持つ被災事業者の債権を国の機構が買い取る仕組みを整えた。しかし、開業医には届きにくい。
  先日、気仙沼市で開かれた二重ローン対策の説明会。男性開業医が「診療所を再建するので、前のローンを処理してもらえないか」と尋ねると、金融機関の担当 者は「優良債権者の借金は(金融機関が)国に売りません」。開業医は返済能力が高いとみなされ、支援対象にならないという意味だ。
 「国の補助は薄く、支援制度も使えないのに命を守れという。これでは地域医療が守れない」。居合わせた別の開業医はつぶやき、天を仰いだ。

2012年03月03日土曜日