前の記事で日本を良い国にしたいと書きましたがなぜ世界でもなく市町村でもなく日本という範囲なのか。
確かに私が日々食べるものは海外から輸入してますし、私は田舎出身ですが、高校卒業まで当該都道府県または市町村にお世話になりました。そして何よりも一番お世話になっているのは両親です。
それなのになぜ日本という範囲なのか。
それはやはり日本に物語性を強く感じるからじゃないかなって思います。親や地域ではその物語性は弱い。世界までいくとその物語性は私にとって希釈なものとなる。
なので日本という国を良くしたいと考えているのだと思います。
私は日本という国に生まれて非常にいい生活をさせてもらっている。
そしてそんな日本が素晴らしい国だと思うし、これからも物語を綴っていってほしい、もっといい国になってほしいと思うのです。
だから共同体主義というのは少し違って、共同体という横のつながりよりも物語性という縦のつながりをより重視しているのです。
私はこのレンジで戦いたい。
そして、そう思わない人は自分の思うレンジで戦えばいいと思います。
その範囲がその人にとって最適であると思うならそれはどの範囲であっても素晴らしいことだと思うのです。
そういう意味では国連総長も商店街のおっちゃんも自己の信念に基づいて精進しているなら同様に素晴らしいと思うのです。
そして、そういう違いが生まれるから役割分担ができるのだと思います。
さらにそれらが有機的につながって連携をとることができたなら日本あるいは世界はいいものになると思ってます。
それを実現したい。
その目的に向かっていつかそういうレンジで戦えるように、今は虎視眈々と勉強を続けます。
すごい抽象的な話ですね (笑)
これからどんどん具体的にしていきます。