最近、丸いものやカーブしているものが気になります。ゆるやかにカーブしている道路をみると、なんで直線にしてくれないのだろうと思ってしまうのです。直線にできないのであれば、せめて直角っぽいコーナーにしてほしいです。

 ゆるやかなカーブのゆるせないところは、目的地が前方に見えているのに、なかなか近づかないことです。進んでも進んでも、その目的地までの距離が縮むことがないので、つらくなってきます。

 

 直角のコーナーになっていれば目的地が見えませんから気持ちとしてはラクだといえます。目的地を見せておきながら、なかなかたどり着けないように大きなカーブを設けるのは、道路をつくったひとのイジワルだと思うのです。

 ときには、鈴鹿サーキットのダンロップコーナーか、と思うようなカーブがあり、ほんとうに困ります。鈴鹿サーキットはサーキットだからいいのであって、それを一般道路に持ち込むな、といいたくなります。

 

 丸いもので困るのが、シンクの中に洗い物を入れたときです。洗い物をするときは、洗う前に水やお湯に浸けておくと汚れが落ちやすくなります。

 そうするためにボウルと鍋をいっしょにならべてシンクの中に入れたいのですが、ぶつかってしまい、どうしてもならべることができないのです。

 

 ほんとうに、あと1センチか0.5センチ、ボウルか鍋が小さかったらきちんと収まるのです。そのたった1センチがなんとかならないものかと、いろいろと動かしてみて試行錯誤するのですが、どうしてもならべて入れられないのです。

 シンクが四角で、ボウルや鍋が丸いから合わないわけです。四角だったら全部四角、丸型だったら全部丸型にしてくれたら気持ちいいのに、なんで混ざっているのだろうと、どうにもならないことを考えてしまいます。

 

 自然界には丸いもののほうが多い気がします。木が丸いですし、四角形の葉も見たことがありません。リンゴもオレンジもメロンも丸です。雲も丸っぽいですし、地球も太陽も丸であり、球形です。

 ということは、世の中のグランドデザインは円や球であり、それに合わせたほうが理にかなっているといえそうです、四角のものは人工的な造形の象徴なのかもしれません。

 

 南米のアンデス文明には丸いものの代表といえる車輪がなかったそうです。車輪がないのは、車輪が発明されたのがメソポタミアで、そこから伝播する術がなかったから、とか、馬車を引く馬や牛がいないので発達しなかったなど、さまざまな説があります。

 

 いっぽうで、石積みにはこだわりがあったようで、いまでもインカ時代に積まれた石垣がたくさん残っています。石は組み合わせるために加工されていて、角がしっかりと作られています。アンデス文明には鉄もなかったので、どうやって石を加工したのか気になります。

 丸い車輪には興味がないかわりに、石を四角に加工することには熱心なアンデス文明の人々に、親しみを感じずにはいられません。