そむぱぱ 子育&ちんぱこお仕事日記 -113ページ目

レッドクリフ

こんばんにぁ(・∀・)部備品のソムリエです♪


本日はレッドクリフ見てきまちたょ♪


間違いなかった(・∀・)詳しい採点は後日UP予定♪


映画から新しいイベント企画の材料がたくさんみつかり大収穫(´∀`)ウフフフ


あたためて提案してみょ~(・∀・)


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酔っ払いなのでこの辺で締めまつヾ( ´ー`)ヘロヘロ


■最後におやすみ前の格言■

同じ時間を費やすならば、効率よく
『物質』を生み出すよりも、効率よく
『幸福』を生み出すべきである(・∀・)

物質は時間とともに生まれ、時間とともに消えていく。だが幸福は時間とともに生まれるが、時間に依存しない永遠の価値を持つ!


ん~間違いない(・∀・)幸福はプライスでつ♪
でわでわおやすみです(・∀・)バイ

水曜日のヌコ(・∀・)

おぱおぱ部備品のソムリエです(・∀・)

水曜日のヌコちゃんは、ある意味 我が家のミュの親戚(・∀・)

実家の
クッパ君とポちゃんを紹介しようと思います(・∀・)


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(´∀`)フフフ可愛いなぁ♪


■本日の名言

他者の利益は

自分の利益を生み、
調和は調和を生む!
※須藤元気ちゃん 『無意識はいつも君に語りかける』より引用


皆様、ステキな1日にしましょうね(・∀・)バイ

やめる教え(・∀・)

 1600年に、天下分け目の「関ヶ原の戦い」が起こりました。

 関ヶ原の戦いの直後、
 その戦いを制した徳川家康に九男が生まれ、
 五郎太丸と名付けられました。


 1603年、実質の天下人となった徳川家康は、
 江戸幕府を開き、征夷大将軍となります。

 1605年、徳川家康は将軍職を三男・徳川秀忠に譲り、
 自らは「大御所」として江戸を出て、
 駿府(静岡県)に移り住みました。

 2代将軍秀忠の弟でもある五郎太丸も駿府城に入り、
 父の徳川家康から直接養育を受けました。


 関ヶ原の戦いも終わって江戸幕府の時代になり、
 戦争もそれほど起こらない世の中です。

 しかし、戦国時代を駆け抜けてきた徳川家康は、
 決して子供たちを甘やかしませんでした。

 年頃になった五郎太丸はある日、
 家臣たちを連れて駿府城外に鷹狩りにいくことになりました。

 そこで五郎太丸は、台所の女中たちに、
 みんなで鷹狩りの途中で食べるためのお弁当を作らせました。

 それを見つけた家康は、

 「狩りの野に行くのに、弁当を持っていくとは何事か。
  おまえには武士としての常識がないのか!」

 と五郎太丸を怒鳴りつけ、
 弁当を持っていくことをやめるように厳しく言いました。


 鷹狩りに同行する家臣たちの前で怒られてしまった五郎太丸。

 「そうか、父上は、武士は常にハングリー精神であれ、
  ということを言いたかったのだな。
  お昼ごはんは我慢しよう」

 と、気持ちを引き締めました。
 
 そして、駿府城外に鷹狩りに向かいましたが、
 やがておなかも空いてきます。

 でも、父上はハングリー精神を持つように言っている。
 今日は空腹でも我慢して鷹狩りに励むぞ、
 と五郎太丸は思っていました。

 ところが家臣たちが、

 「五郎太丸様。そろそろおなかが空いてきた頃でしょう。
  このあたりでお昼に致しましょう」

 と言いながら、ゴソゴソと焼き米などを取り出しました。


 「おまえたち、父上は鷹狩りに昼飯などを持っていくなと
  私が怒られていたのを見ていたであろう。
  父上に隠れて昼飯を持ってくるなど、よくないのではないか」


 五郎太丸は家臣たちに言いました。

 家臣たちは、しばらく黙っていましたが、
 やがて五郎太丸に答えました。


 「怖れながら、申し上げます。
  大御所様は確かに、鷹狩りに弁当は許さないと仰せでした。
  しかし、腹が減っては戦はできぬと申します。
  戦はなん時も非常時ですから、いつ食べられるか分からない。
  ですから、腐ってしまう弁当は戦場に相応しくありません。
  そのために、腐らない非常食を持ち歩くのが武士の常識だ、
  ということを大御所様は仰せになりたかったのでございます」


 それを聞いて、五郎太丸は自分の見当違いを恥じました。

 父が言った「武士としての常識」を
 間違って解釈したことを反省して、
 武士としての誇りを持ち、武芸を磨くことを心に誓ったのです。


 1614年、14歳になった五郎太丸は「大阪冬の陣」に参戦し、
 武士の誇りを教えてくれた父・徳川家康に
 立派な初陣を見せることができました。

 1616年、徳川家康は駿府城で亡くなりますが、
 五郎太丸は元服して徳川義直(とくがわよしなお)と名を改め、
 名古屋城に移って初代尾張藩主となり、
 御三家(尾張・紀州・水戸)筆頭の尾張徳川家の祖となります。

 そして藩主となっても武士の誇りを忘れることなく、
 剣豪・柳生兵庫助からの直伝で新陰流剣術を相伝し、
 一方で尾張領内の経済や文化を開花させる政治を行なって、
 現在の名古屋の発展の礎を築いていくのです。



 徳川家康が若き日の徳川義直に、
 「鷹狩りに弁当を持っていくな」と怒ったのは、
 鷹狩りでメシを食べるなということではなく、
 戦場に相応しいメシを持っていけ、というのが真意でした。


 「やめろ」という教えは、
 ただ単に「それをするな」というだけではなく、

 「もっと別の最適な方法がある」

 ということが真意です。


 「やめろ」と言われて「はい、やめます」というのは、
 犬でもできます。

 でも、「やめろ」と言われて
 「なぜやめるのだろう」「ではどうしたらいいだろう」
 と深く考えるのが、人間です。

 やめるために考えるのではなく、
 次にどうすればよいのかを考えるのです。



 「規制でがんじがらめになって、どうにもできませんわ」
 と溜め息をついているだけの経営者は、
 考える力がついていません。

 「やめろ」「するな」という縛りが与えられたら、
 「じゃあやめます」という短絡的な考えではなく、

 常に「ではどうすべきか」「ではどうするとよいのか」
 という考え方の切り替えをしていかなければいけません。



 「やめる教え」は、やめさせるためではなく、
 次へのステップを考えるための教えなのだということを
 意識しておくといいでしょう。


※M&C研究所の弘中勝さん「ビジネス発想源」引用 


うんうん(・∀・)勉強になりまちた!!即実行していこうヘ(゚∀゚*)ノキャッキャッ