こんにちは。

今回は、片耳難聴について、自分が普段感じている悩みを書いてみます。

すこしでも片耳難聴が知られたら嬉しいです。

 

私は左耳が生まれつき聞こえません。右耳は、突発性難聴を経験していて、普通の人の8割くらい?の聴力だったと思います。(自分のことなのにあんま覚えてない(笑))

 

・そもそも、どんな場面で聞こえないのか

基本的に聞こえない側に相手がいる場合はきついです。特に席が決まってるとき(電車やクラス)は要注意場面

そして、周りがざわざわしているとき。片耳だと、色んな雑音から必要な音をピックアップすることが難しいです。カクテルパーティー効果??はあ??って感じ(笑)

さらに、音の方向が分からない。後ろから呼ばれても、音の出所が分からずにきょろきょろしちゃう(笑)

 

・伝えるのに勇気がいる

初対面の人とか、新しい職場、クラスで伝えるのが難しい!!

一応会話はできるから、伝えなくても何とかなっちゃうのが難しい所。見た目じゃ分からないし。伝えると重くなっちゃう。でも伝えないと、ところどころで聞こえに困る場面も。

直したいけど、聞こえてないのに愛想笑いしてやり過ごしちゃう癖がついちゃいました。(中学の頃に「聞こえないからって笑ってごまかすなよ」って友達が行った時の表情がトラウマです)

大事な会議とかでも聞こえないまま進んじゃうことが多いです、、、直さないと

 

・立体音響が分からない!

映画や音楽の、立体音響がまじで分からない!いつか立体感を味わうのが夢。私はアニメが好きで、劇場版の音響上映にいくことがあるので、音響を100%楽しめず非常に萎えます

 

★どうやって伝えているのか

普段自分がどう片耳難聴を伝えているのかというと、行動に合わせて伝えることが多いです。

例えば、二人で歩いているときに「左耳聞こえないから、右側歩くね」と伝えます。

 

でも正直伝えないまま付き合っている人もいます。タイミングがないし、忘れられたときショックだしむかつきます(笑)

あんな勇気出して伝えたんだから忘れんなや!って(´;ω;`)

 

でも私の周りは覚えてくれる人が多くて、電車とかで「こっち側がイイんだよね」と言ってくれた時は「好き。。。!」ってなります。ありがたい。

 

 

このブログが、片耳難聴の方の助けになったり、少しでも片耳難聴が広まったら幸いです。

ただ、前に片耳難聴のコミュニティに参加した時に思ったのですが、

一人一人症状や必要なサポートが全然違います。一番大事なのはその人によく話を聞くことだと思います。

 

 


 

サンリオ総選挙の季節です。

 

ウィッシュミーメルちゃんというキャラクターを知っているでしょうか?

 

サンリオのキャラクターなのですが、この子がまあ応援したくなる。

 

ウィッシュミーメル|サンリオ (sanrio.co.jp)

 

魅力的なのはこの子のバックグラウンド。

 

私はサンリオピューロランドのchance for youというアトラクションで知りました。(ディズニーのフィルハーマジック的な)

 

ざっくり思い出すと、

 

メルちゃんはフランスからメルシーヒルズに引っ越してきたウサギの女の子。最初は虹色のしっぽが恥ずかしくて家に閉じこもってしまった。街のみんなはメルを心配して、手紙を出す。メッセージを見て元気を出したメルは、外へ出てみんなと友達になる。そして、自分も郵便局員としてみんなの思いを届けるお手伝いをするようになった。というお話。

 

この、「してもらったことを返す」、「『素敵な経験』をし、自分の人生が先へ広がっていく」というストーリーが素晴らしかった。

 

特に自分は就活中で、こういうストーリーが染みる。過去の経験を思い返して、こんな職業の決め方ができたらいいなと思う。自分の近況的に、就活的な受け取り方をしてしまったが、、、

働き始めてからはどういう受け取り方をするのだろうか。

 

あらためて感想を考えてみると、メルを迎えるコミュニティの温かさももちろん心を打たれた。このような世界観は自分の原風景としてしまっておきたい。

そして、虹色の尻尾も重要なモノだ。メルは最初、みんなと違うからという理由で尻尾を恥ずかしがる。しかし、皆はかわいいと褒めてくれる。この「コンプレックスを自分らしさとして受容する」という点も良かった。

 

みなさんもメルちゃんのストーリーから素敵なものをもらって見て欲しい。

 

(声優さんが東山奈央さんで声可愛いですよ(^▽^)/)

田舎に住みたい。島とか、なるべく閉じた場所が良い

海や山があるとこがいいなー

 

虫が嫌いだから虫はいないものとして妄想します。(笑)

山っていうとやっぱり春夏秋冬のイメージが強い。

春は桜がいっぱい咲いて欲しい。家の近くにいっぱい咲いて欲しいけど、あたり一面に桜が咲いている場所があったらとっても素敵。風がそよそよ拭いて、風の運んできた桜のにおいを思いっきり吸い込みたい。

涼しいから川に釣りに行きたい。時計なんてもっていかないで、時間を気にせずゆったり過ごしたい。土曜日の午前中とかは家でもそういう心持に慣れる時があるから、そういう時間をなるべく作りたい。最近は生活と心がざわざわしてて難しいけど(´;ω;`)

菜の花畑とかも素敵だよね。もし子供がいたら、そういう風景を原風景にしてあげたい。おもいっきり菜の花畑の中を走って、自分が生きている世界を世界を大好きになって欲しい。

 

夏は海に行きたい。別に海に入らなくてもいい。波の音をざあざあ聴きながら座っているだけでいい。

あっつい日差しを浴びて寝てると、地面とくっついて溶けていきそう。

すぐ溶けちゃうけどフロートとか飲んじゃったりして。

もし海に潜ったら、魚と一緒におよぎたい。すてき。

ひまわり畑も行きたいよー

とりあえず素敵なことをいっぱいしたい(笑)

 

秋は紅葉を見たい。山に登って、森の中で寝転んで、真っ赤な世界に包まれたい。目をつぶって、ざわざわざわって。ちょっと休憩してお弁当を食べたい。お弁当食べたいなあ。頂上まで登ったら、島が一望できる。でも、島の景色ってちょっと寂しそう。

秋ってなんだかほぼ冬なかんじがしちゃう。その分どの季節でもないぼんやりした境界のなかにいる。ちょっと不思議で怖い経験もしちゃいそう。(ふつうは夏とか冬かもしれないけど)

山の裏にある、トンネル探検したい。夢みたいな、すぐ忘れちゃうような、でも素敵な出会いがあって、その体験の前後で世界と自分がちょっと変わってるような出来事があったりして。

 

冬は寒い。寒いし悲しいイメージがあるけど、あったかくて素敵なこともきっとあるはず。家の中でゆっくりしたいな。こたつでみかんを食べて、窓から外を見て、雪が降ったらはしゃぎたい。

だめだ冬のこと書いてると悲しい気持ちになってくる……

悲しいことがいっぱいあるかもしれないけど、みんなで頑張って乗り切りたい。なんか世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、keyにすごいバイアスかけられてる気がする

 

 

誰と一緒にいたいんだろう? 恋人? 

恋人と閉じた世界に二人っきりがいいけど、だんだん膿んでいきそうな気もする。でもほかの友人とかのことを考えないで、一生二人きりって妄想しちゃうな。

ずっと死ぬまで一緒で……っていうのは妄想だからいいのかな。二人っきりってきっと本当は悲しいことの方が多い。知れば知るほど違うって気づく。それでも好きだって、穏やかな気持ちになることが幸せなのかな。

激しい気持ちがあって、いっぱい期待して、いっぱい裏切られて、それでも好きで……相手のことを否定したり嫌いになろうとしたり、気持ちをぶつけたり飲み込んじゃったりして 

もういやってなっちゃうかも。

当時はほんとにつらいけど、客観的にみるとそれも素敵なことかもしれない。

そうやって辛いことをいっぱい経験して、でも相手のことを知ろうと頑張って

だんだん相手を受け入れられるようになるのかな。いつまでかかるんだろ

 

そういうのを乗り越えた先にみる穏やかな夢って感じで、この島ですごしたいかな

 

 

白いご飯について。好きな食べ物に対して書くことは、相対的に自分について書くことだと村上春樹が言っていたのでやってみます。白いご飯という表現は不思議だ。ごはんというと飯全体なのか、コメ自体を指すのかよくわからない。その差別化なのか。差別化という言葉をごはんについての話題で使うのはいささか不敵な気もする。柔らかい言葉ではなそ。白いご飯というとふっくら炊きたて、つやつやでほくほく、自然な甘みが感じられて、カメラでズームになっているCMの様な場面を想像できる。昔は粋な食べ物と聞かれて白いご飯と答えていた。周りと違う自分!という意味もあった。でも、ほんとに好きだった。うちは母親が朝から鮭やたらこを焼いてくれるありがたい家だったので、毎日違うお供と食べるのが楽しみだった。ぎゃくにふりかけはほとんど使っていない。なんて贅沢なが子供だ。将来のお嫁さんには同じことを要求しないようにしよう(母に忠告された)白いまま?食べるのも好きだった。甘さを感じられるし、さっぱりするからだ。

そんなこんなで小さいころからお米大好きだった少年はぷっくらしていた。パンはほとんど食べなかったし、ひたすらご飯が好きだった。でも、お代わりをするわけではなかった。ただ当たり前の様に食べていただけ。お米も良く研いでいた。自分がといだお米はおいしく感じる、というわけでは全然ないけれど、リズミカルにしゃっしゃと手を動かすのが楽しかった。

彼のセリフがすごい。「俺が愛したのと同じくらい愛されなくても、俺はŹOOĻが好きで、をれでいい」このトウマの心の余裕に憧れる。

ノーマッド時代に、ファンとメンバーを愛し、でも最後には離れていってしまった。そんな経験を持つトウマがその境地に至ったのがすごい。

もしかしたら、歳を取るにつれて望むことをやめたのか感情が乏しくなったのかいや、ああはいいつつ、ŹOOĻの他メンバーの思いを感じ取っていたからでは無いか。

そうじゃない場合、トウマはそれで幸せなのかもしくは、愛することが幸せだったとしても、愛される方が、もっと幸せなのではないか?

どんな相手でも受け止めて、愛することに憧れる。

しかし自分は、いっぱい感じたままに思って、相手にいっぱい感情をぶつけたい。 穏やかな境地に至り、感情の変化が小さくなることは、村上春樹風に言うと「損なわれる」感じがしてしまう。その感情の変化を楽しめるほどには、大人じゃないけれど。


トウマの話をしてたのに笑


トウマは最初から好きだった。陸に当たるけどなんだかんだ気遣ってくれる。本気で歌わないと言っても明らかに悲しい過去があったんだなとわかる。


ŹOOĻを結成して、ギスギスしていてもトウマだけは中心で中を取り持とうとしていた。了さんの元にいながらも言いたいことはしっかり言っていたのが良い。弱いものいじめをするやつは嫌いだと。 もう主人公じゃん

ムビナナでは力強い踊りがいい。あと意外とウインクしてくれる。演技力は巳波にめがいきがちだが、ササゲロやゾンオバでの凶悪な顔は普段とのギャップを感じてGood