サイレンが止まる。

救急隊に拘束帯をつけられ動けない状態に。

ストレッチャーで救急車から降ろされ、病院の中へ搬送された。


看護師と先生登場。

で、なにをしてくれるのかと思ったら、また体温+血圧+酸素濃度を測定される。

どこが痛いのか?いつから痛いのか?救急隊と同じこと聞いてくる。うざったい。


俺「いてぇ~。さっきやったじゃん。そんなのいいから、さっさと、痛み止め!!」

先生「落ち着いてください。この辺ですが?」

ぎゅっと横っ腹を押される

俺「いてぇ!!!!!!!!!!!!」

あまりにも激痛だったので、かなり騒ぐ。

看護師が「もうちょっとですよ~」とか訳わからん慰めをしながら、血液採取、点滴をさした。


部屋を移り、超音波で痛い場所を調べる。

ぐりぐり押すから痛い。


先生「腸が腫れてますね~」

俺「イテテテテテテ・・・」

先生「こっちは大丈夫だな」

俺「イテテテテテ・・・」

先生「お通じ出てます?」

俺「イテテテテテテテ・・」

痛すぎて、なにも答えられませんでした。


先生「オーイ、○○(注射の名前)持ってきて~」


先生に注射をさしてもらうと、あら不思議。

一瞬のどが渇いたかと思うと痛みがいっきに引きました。

もっと早く使ってほしかった・・・



その後、検査入院することに。

まさか、検査とはいえ、自分が入院することになるとは夢にも思いませんでした。

が、そのときは、これもいい経験だなくらいにしか思ってません。


点滴が落ちるのを見ながら、待つこと4時間。

看護師が来て浣腸されることに。

ぶすっ。

10分くらいがんばるように言われましたが、無理でした。

すぐに、トイレに直行。

廊下で少しもれました。

はぁ~。はずかしい。


着替えのジャージを持っていたので、着替えてました。

ちょっとにおいがまだ残っているようなきがしたんですが、とれないので、まぁしゃあない。

いざ出陣。


検査室へ!

中で紙のパンツに履き替えました。パンツは後ろに穴が開いており、そこからファイバーを通すようです。

で注射をまた打ちました。腸の動きを止めるものだそうです。

10分くらいたって、いよいよ検査です。


薄暗い部屋には、ディスプレイと、長い太めのコードが。コードの先からは、虹色の光が。。。

どうやら、あれが、ファイバーのようです。長い。

検査台に寝るように言われ、ケツを突き出して横向きに寝るようにいわれます。

医者「痛みどめをします。ちょっと気持ち悪いですが我慢してください」

ブスッ。

指を入れられました。気持ち悪い。ぐりぐりすんな。


で、いよいよ大腸カメラを中へ。

最初のうちは余裕でした。ディスプレイを見る余裕あり。

ここはどこのあたりですか?なんて先生に質問することもできました。


しかし、カメラの先端が腫れている部分を通るとき、めちゃくちゃ痛かったです。

救急車で運ばれたときよりも痛かった。ほんとに痛い。

死ぬかと思いました。10分くらい苦しんだと思います。

泣いちゃいました。


やっとこさ終わって医者から説明を受けました。

医者「腫瘍がありました。検査結果が出るまで正確にはわかりませんが、おそらく悪性だと思います。」

俺「はい。・・・・・はい?」

医者「1週間後に検査結果がでるのでまた来てください。」

淡々と話す医者。

俺「悪性って・・・がん?」

医者「おそらくそうです。ご家族はどちら?」

俺「山形ですけど。。。がんって癌ですか?」

医者「その癌です。もし可能なら、親御さんとご一緒に聞きに来て下さい。」


その後医者からは、食物繊維の多いものは食べないようにすること、食べる量を減らすことなどアドバイスされました。が、精神が弱い俺は、空返事を繰り返すことしかできませんでした。


(続く)

その日は確か土曜日。

高校時代の友人と温泉旅行に行くことになってた。


朝5時に起床。

お腹が張ってたのでトイレへ直行。

しかし、出ない。そのときは、朝早いから出ないのだろうと思い、電車で集合場所へと向かう。

途中おにぎりを買って、電車の中で食べる。行儀が悪い。

集合場所へ到着。半分くらい集まってたと思う。

まだ時間があるということで、駅のトイレへ。

車に乗る前に溜まっているものを出しておきたかった。

しかし、出ない。何分座っても出ない。

普段は快便なのに。

しかも、だんだん腹が痛くなくなる。なんか、いつもの腹痛と違う感じ。

10分くらいたったか?やっと出たと思ったら血便だった・・・

それでも痛み引かず。痛い・・・・

しまいには、吐き気もでてきて、さっき食べたおにぎりを吐く。

もうやばい!死ぬかも。

トイレの中から外で待ってる友人にTel。


俺「すまん、腹がめちゃくちゃ痛い。血が・」

友人「え!?大丈夫??!救急車呼ぶ?」

俺「いや、いい・・・(ゲロゲロ・・吐いた)」

友人「待ってて、すぐ呼ぶ。 (ツー・ツー切れた)」

俺「(救急車か・・恥ずかしいな・・・。みんなが外にいるのに。)」

  

電話をきったら、なぜか痛みがましになったのでとりあえず、トイレから出ることに。

トイレから出ると友人が。

友人「大丈夫??座って!!もうすぐ救急車がくるから」


こいつこんなにしっかりした奴だったのか・

この友人はおちゃらけてばっかりで、人の言うことを聞かない変なやつだと思ってたのに。


俺「ありがとう、イテテ!!!」

また腹痛が。


救急車がくるまでに、痛みの波が3回くらい来た。

30分くらいまったような気がするが、後から聞いたら10分程度だったらしい。


ガラガラガラ・・・

タンカを押しながら救急隊が来る。


年齢と症状を聞かれる。

それから、脇に体温計、腕に血圧計、指先に酸素濃度計(?)をつけられる。

ピピッ! 37.3℃。

微熱。血圧、酸素は覚えてない。


タンカに乗せられ、救急車まで運ばれる。

ほかの友人たちも集まってくる。


俺「みんな・・すまん」

友人たちは大丈夫か?とか言ってくれてたような気がするがよく覚えていない。


救急車の中でも嘔吐。

隣には、救急車を呼んでくれた友人がいる。

すまんね。。


さっきから、ず~っと救急隊が搬送先の病院を探してる。

よくニュースでやってる「たらいまわし」か??

5件目くらいでやっとこさ受け入れ先が見つかったよう。よかった。


サイレンが鳴って出発。

当たり前だが、いくら進んでもドップラー効果がおきない。

救急車の中であることを実感。


友人が手を握ってくれている。ありがたい。


気づいてみたら痛みは完全にひいていた。

救急車中で天井を見ながら、こんなに大げさになってしまいどうしようかを考えていた。

(この時点は、自分がガンだとは知らず、ただの便秘くらいにしか思ってなかった。)


しばらくしたら病院に到着。


<続く>

いまさらですが、初めてブログにチャレンジしようと思います。


理由は、

①自分はガンになってかわいそうなんだよっていうアピール

②このブログを読んだ人が人間ドックを受けてガンなどの病気を早期発見してほしい

③暇つぶし


初回は、私の経歴を書いてみます。

経歴を書いて何が言いたいのかというと、誰にでもガンになる可能性はあるということです。

ガンが発見されるまでは元気いっぱいで、自分がガンになるなんて夢にも思ってませんでした。



<経歴>

1984年に誕生。


幼稚園時代は記憶ほとんどなし。

周りの子をいじめてたらしい。

すまん。


小学校時代は遊んでばっかり。元気いっぱい。

習い事はピアノと水泳。

ピアノは嫌いだったけど、水泳は速かった。


中学時代は部活をがんばった。

身長が高いほうだったのでバスケットボール部。

朝、放課後、いっぱい汗かいた。

あんまり強くなかったけど、それでも最後の中体連では市内で優勝した。

すげーうれしかった。

あと、勉強も好きだった。周りの友人よりもいい点とることが快感だったな・・・

今思えばテストなんて馬鹿馬鹿しいけど、あのころの勉強が今につながってると思う。


高校時代も勉強。がり勉タイプ。

マージャンにはまり、部活せず。ぶくぶく太った。

母親(太ってる)の子供であることを実感。

恋愛なし。


大学は東京の「いい大学」に入れた。

大学特有の騒ぐだけの飲み会にはついていけず、サークルには入らなかった。

ただ、高校のときとは比較にならないほど人脈が増えたので、毎日楽しかった。

仲のいいやつらと、ビリヤード、ボウリングを毎日やってた。

なんで飽きなかったんだろw

金もないのに旅行にもはまってました(国内)

北海道、青森、京都、奈良、静岡、沖縄、鹿児島、大分、四国四県、大阪などなど・・・

卒論は苦労したけど、なんとか完成。満足満足。


就職先は迷ったんだけど、いわゆる大企業にしました。

おっきな会社だと、歯車の歯にしかなれないかなと思って規模の小さい会社に入ろうと思ってたんだけど、

今の会社の先輩社員の方がアツイ人で、その人魅かれて決定。

希望通りの職場に配置になり、一生懸命思ごとしました。

ガンが発見されたのは、入社2年目。仕事も覚えて、プロジェクトも一人に任せてもらえるようになり、

かわいい後輩たちも増えて楽しい会社生活を送っている最中でした。



以上!

ガンになりそうな要素は、ちょっと太り気味で運動不足ぐらいかな?

親戚にガンが多いわけでもないし。

本当にびっくりしました。今でも信じられません。。。


次回からは、ガンの発見~闘病生活を思い出しながら書いていきたいと思います。



~余談~

今思えば、福利厚生がしっかりしている大きな会社に入ってよかったと思ってる。

手術で3ヶ月休み、現在も化学療法で毎週金曜日に休みをもらっている。

それにもかかわらず、ゆっくり治せと言ってくれるし、経済面でも、月2~3万円しか医療費がかからない。

チャンスがあるなら大きい企業へ入りましょう。(自慢や嫌味じゃないです)