検査結果の出る二日前に、
親友の成田、上原、潤の三名がまたまた来てくれた。
待ち合わせていないが、久野も奥さんと子供を連れてほぼ同時に来てくれた。
子供はまだ幼稚園に行ってない年齢だったと思う。1才か2才か。
僕の事が判る様で、指を指し
「ダイチョ」
と言った!
全員大爆笑!
僕は久野と奥さんに
「テメーら、子供に 大長のヤロウがよ、こんな事言ってやんのよぅ。 とか何とか呼び捨てでグチ言ってんだろ!このヤロバカヤロテメッ!」
と叫んだ(笑)。
奥さん大慌てで
「大長先生、大長先生、大長先生、・・・・・。」
と子供に呪文の様に言い続けるのであった・・・・・
。
とうとう検査結果が出た!
腫瘍でも何でも無く、ただの「膿」だったらしい・・・・・。
勿論、物凄く嬉しかったし本当に有難かったが、何だか微妙な気にはなった。
あれだけ、腫瘍だ腫瘍だと、悪性腫瘍だの末期ガンだの言われ、死を覚悟していて、結果何でも無いのは地獄から天国に行った様なものだが、
当時は、今程感謝するという気持ちを持つ事が薄かったと思う。
だから踊らされた気分にはなった。
しかし何でも無いとは本当にありがたい事だった。
美輪明宏の本に「正負の法則」というのがあり、
良い事があれば悪い事があると書いてある。
今まで特に嫌な事が無く幸せだった。
だから、これ位の心配事くらいは必然だったのかも知れないと思う様になった。
あくまでも推測の域は出ないが、
今から約30年程前の中学2年の冬、そう、マラソン大会の前日
休み時間、校庭で遊んでいた僕に、ビニールテープでぐるぐる巻きにした重いビニールバットが背後から物凄い勢いで飛んで来た!
「大長危ないっ!!」
親友の潤や数名の友達が叫んだ。
状況把握していない僕はバットが飛んで来ている事に気付かずにいた。
「えっ?何?」
後を振り返るや否や、僕の右目下の頬骨辺りに直撃した!!つまり今回の上顎洞辺りだ。
鼻にはぶつかって無いが、鼻血がドハドバドバッと垂れているのが見えた。
ぶつかった瞬間はパッと明るくなり、本当に星が飛んだ様だった。
しかし僕は倒れなかった。
「人間、結構倒れないもんだなぁ。」
なんて考えていた。
直後、頬骨は鼻より高くなり、目は開けられなくなった。
バットを投げた人間は逃げ、潤たちが介抱してくれるまま教室に向かった。
遅れて教室に入った僕たちに先生は激怒。しかし、直後、当時流行った「エレファントマン」の様に変形した僕の顔を見て動揺していた。
あだ名は案の定、エレファントマンになった(ToT)。
放課後!担任の先生と潤を始め数名の友達で病院に向かった。
大して調べず、冷しただけだった。
その時に骨折していて、その時の炎症が膿となり約30年かけて肥大化し、口の方まで飛び出てきて、骨を溶かしている様に見えたのだろう。
お陰で右目の視力は悪くなり、眼鏡をかける様になっていった。
それまでは、両目ともに2.0だったのが、この瞬間に奪われてしまった。
一歩一歩の衝撃で、腫れた頬骨が揺れて物凄く痛かった。
しかし、翌日はマラソン大会。歩くより遥かに痛かったが、根性で走りぬいた。
約300人中81位だった。
前年よりずっと良かった。
何でも無いと分かり、早速屋上から手塚社長や緑代表始め、様々な方にご報告電話をした。
毎日メールにて心配してくれた某店舗のフロントチーフの女性にもお礼電話をしたが、出なかったのでメールをした。
折り返し電話をもらったが、今度はこちらが気付かず出られなかった。
「ありがとう。毎日精神的に助けられたよ。」
と送ったら
「誰も助けてねーし。医者に感謝しな!」
と返って来た!
カッコイイ~(T-T)。
正に蒲田行進曲の「銀ちゃんカッコイイ・・・・・(T-T)」の世界である。
完全に惚れたのは言うまでも無い。
何でも無いと判れば話しは早い。すぐに退院手続きをして、午後イチで病院を後にした。
翌日から仕事をせねばと気合いが入った。
頭痛が凄かったので、帰りに嫁と二人でしんそう小石川の長岡先生の所へ寄り、お見舞いのお礼と何でも無かったご報告。そして患者として、しんそうを受けに行った。
患者としては1年以上受けていなかった。
長岡先生のお陰で、すぐに頭痛は消えた。
そのまま日本橋高島屋へ寄り、お見舞いに来てくれた方々やお見舞い金を頂いた方々に、御返しを買いにいった。
久しぶりに歩いたので、やけに疲れた。
本当に幸福感を味わっている一時だった。