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僕のトレーニングジムの原点は

今でも立派に営業している

大森ボディビルセンター(大森トレーニングセンター)。

18歳~25歳まで通っていた。

現在はどうかは分からないが、
16年前までは

垂直式のレッグプレス

ストレッチポジションでついてしまうラットプルダウン

スクワットマシンを利用したボトムポジションからのカーフレイズ

脛が痛くなるレッグエクステンション

重量の揃っていないセットダンベル

ほとんどが昔のNE製だった。タザキ製とyy製が少し。

アジャストベンチも無い

パワーラックも無い。

ストレッチエリアも無い

冷却水の水飲み場も無い。

冷暖房も無い。

BGMも無い。

ロッカーも狭く、
勿論冷暖房無し、土足での利用(ロッカーで室内履きに履き替える。)

シャワーも1つしか無く、7年いて、1回しか使わなかった。

しかしそれが当たり前。

後に、あるスポーツクラブでトレーナーデビューする事になるが、

カーペットに裸足利用。

インジェクションのシャワー室も7室もあり、

あまりのロッカールームの清潔さに驚いた。天国の様だった。

それでも尚、クレームが出る事については、信じられない思いが強かった。



何にも不便に思わなかった。

いろいろ工夫して、少ない器具でも、

困る事無く、
飽きる事無く、

楽しく行っていたし、大変良い思い出だ。

当時、雑誌で見る

「ユニバーサルマシン」や
「ノーチラスマシン」に憧れた。

やった事の無い
45゜のレッグプレスマシンや

スミスマシンにも

憧れた。


何でもできる現在のゴールドジムは天国だ!

当時の僕だったら、嬉しくて発狂してしまうのでは無いか?


佐々木会長や会員の方々にも大変お世話になった。

一番忙しい時間帯でも、ジム内に4~5人しかいなく、必然的に仲良くなった。

時期的には
カラテの補強の意識が強く、

全くボディビルは考えていなかった。

先輩からは
強制的にチンニングやレッグレイズを20レップ20セット(勿論補助つき)やらされたり、

スクワット10セットの後、垂直レッグプレス10セット等もやらされた。


ある日スクワットを一人で12レップ目指して行っていると、
突然後について補助のポジションに入ってくれる先輩。

11レップ目に

「はい10!」と言った。

内心「違うよ先輩!今11レップ目だよ!もう限界に近いのに13レップやるのかよ!」

と叫んでいた。

12レップ目に信じられない言葉を吐いた!!

「はい9!」

「エッ!?カウントダウン!??」

止めさせてくれそうに無い態度、雰囲気。

13レップ目に突入。補助にか~るくはいってくれた。
こっちも想定の範囲外で必死。

予想通り「はい8!」

「ゲッ!!やっぱり!!!」

内心「既に10レップやっていたって知ってんのか?この先輩は?」

大変失礼ながら、殺意を抱いた。

結局、ほぼ補助のみで20レップまで行わされ、直後その場で崩れ落ちた。

よく腰を痛めなかったと後で思った。

しかし、そんな愛のあるシゴキ?の数々も幸せだった。

強くなっているぞ!と実感できた。

当時極真では、大西靖人、小笠原和彦、黒澤浩樹、増田章の各選手達が、皆パワーファイターで下段廻し蹴りが凄まじかった。

全員城西支部であった。

僕からしたら雲の上の選手達であったが、少しでも近付きたいと、

スクワットをやる為に大森ボディビルセンターに入会した様なものだった。

多い時期は週6回通い、別の部位をトレーニングする日も

必ずスクワットから開始した。

何回ももどした(汚!)

何回か意識が遠くなった。

一方で、前出のスクワット補助の鬼先輩は、

極真総本部の大先輩で、

極真談義に花が咲き、全くトレーニングにならない日もあった。


ローバーでワイドスタンス
ハーフ位だが、

80Kgの体重で

230Kgまでやれた。

(入会時は65kgの体重で110kgがMAX)。

クォーターでは300Kgで30レップとかもやっていた。
セーフティバーが移動しない

昔の「スクワットラック」だったし、

担いで2~3歩下がらなければならず

本当に恐かった。


しかし本当に楽しかった。

良い思い出ばかりである。
続きはまた。



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