勢いでアンディフグ第三段。
第四世界大会では、
「私は勝つ為に東京へ行きます。優勝します。」
と宣言した。
僕の予想は変わっていた。
外国人で優勝するならアンディ。
優勝が日本人なら、最上位にはアデミールコスタ。
ミッシェルウェーデルではアデミールには勝てない。
八巻先輩には勝って欲しいが、スタミナでアデミールには厳しいのでは?
というものだった。
因みに当時の
極真カラテ年鑑
に
「フグは誰かとハグが言う」
と題し、
英語読みのハグ、
ドイツ語読みのフグ
アンディ本人から
アンディハグが正しい
という記事が載っていた。
四回戦で木元選手に大苦戦したものの、
準決勝で増田章選手にも勝利した。
後に
「一番苦戦したのは木元」
「K-1も含め一番ローキックが強かったのは増田」
と言っていた。
増田師範の話しはアンディから直接聞いた。
増田師範にその事をお伝えすると
「アンディのお世辞でしょ」
と謙遜されていたが、アンディは真顔で言っていた。
極真出身の僕としては大変嬉しかった!
外国人初の決勝進出で、またもや松井選手と対戦し破れ準優勝。
その後は
第五回世界大会に出場し、
正道会館へ移籍。
移籍の際は、極真関係者に相談し止められたりしたが、
当時、極真会館はプロ進出を認めておらず
生活の為に移籍した様だ。
その後の活躍は、皆さんの良く知るところとなった。
格闘技オリンピック2
で
正道会館の柳澤聡行選手と
プロデビュー戦を行ったが、
まだまだ我々には
極真のアンディ
だったので正道会館の方々には申し訳無いが、
一方的なアンディの勝利に歓喜した。
そんな思い入れの強かったアンディが、とうとう僕の働いてる
ゴールドジムノース東京
にやって来る日が来た!!
続きはまた