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僕がフィットネス業界に来る前、5年間だけ靴業界にいた。

最初「アカクラ」という所に3ヶ月いたが、婦人靴専門店であり、

店長の「フィッティングなんて関係無い。とにかく売れ」

という考え方が嫌で辞めてしまった。

「シューフィッター」を目指していた僕は、すぐに

「アメリカ屋靴店」

で面接し

1988年7月11日から、新宿駅東口目の前にあった

「新宿駅前店」

に配属となった。


それより以前、学生時代にお茶の水スポーツ店街にあった

「アスリートフット神田店」

で時給550円でアルバイトをした経験があった。


そもそも、シューフィッターを目指した原点はアスリートフットの広告にあった。

中学一年から始めたカラテ。

パワーは勿論、スタミナもまるで無い。

よく走った。

そうしたら足や膝を痛めた。

シューズの大切さを実感し本を買って勉強?した。


そんな本にあったアスリートフットの広告。

「3000足の中から、あなたに合う一足を見つけて欲しい。」

「敷き詰めたグリーン、バスケットコート。

さあ自由に使ってほしい。

シューズを履いて軽く走ってみよう。左右にステップをふんでみよう。飛んでみよう。

キミの動きに素直についてきたそれがキミのジャストフィットシューズだ!」

「アスリートフットでは、修理する事が可能。

ソール張り替えなら一週間でOK。新品の様に甦る。」

というキャッチコピーと店内写真。

純真無垢な武史少年には魅力的すぎる広告だった。

憧れていた試し履きの際使用する、斜めのボードが付いたグリーンの椅子
(お客様が別の椅子に座り、試し履きの靴を履き、斜めのボードに足を置く。

そして店員がシューレースを上から順に絞めていく。

雑誌等の情報では、アメリカ等の靴屋ではポピュラーなフィッティングチェアーと知っていた。)

人工芝、バスケットコートを模したフローリング、

物凄い量の憧れのスニーカーたち。

ブルックス、

エトニック、

サッカニー、

ニューバランス、

アディダス、

プーマ、

ナイキ、

Mラインミズノ、

アシックスタイガー。


それぞれがに特徴があり魅力に満ちていた。

とてもいい時代だった。

続きはまた。



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