6
携帯灰皿を胸ポケットにしまい、カフェに戻ろうと振り向くと、
彼女がそこに立っていた。
いるはずのない彼女が。
何時からいたんだろう?
軽い衝撃と共に、受け止める体。
あっという間もなく、彼女が俺の胸の中にいた。
離さなければ。
そう思う頭と裏腹に、体が凍りついたように動かない。
抱きしめもせず、ただ抱きしめられたまま。
冷え切った体。
その奥から伝わる彼女の温もり。
温かい。
髪の毛に、桜の花びらが絡みついている。
髪から立ち上る甘い匂い。
麻薬のように麻痺させて、俺の思考を奪う。
花冷えの凍てついた夜。
こんな日には誰だって、温かくて甘いモノが欲しくなる。
自分の腕の中にいるのなら、尚更。
全ては本能のままに。
両腕でそっと、彼女の体を包んだ。
「俺は、結婚してるよ」
「……知ってます」
「責任は、取れない」
「そんなの……いらない。今は……傍にいて」
彼女は選んだ。
俺は選ばせた。
卑怯者。
掬い上げる黒い瞳、俺が映る。
深い闇、桜の花びらが舞う。
彼女が誘い、俺が選んだ。
二人で秘密の闇に堕ちていく事を。
桜の花びらが空へ舞い上がり、二人の姿を蔽い隠す。
流れていく黒い桜の帯の行く先は、闇に閉ざされて見えない。
合わせた唇から甘い吐息が漏れる。
違和感が消え、甘い罪悪感と快感が体中を巡る。
両腕に力を込め、彼女の体を引き寄せる。
同じ速度で、堕ちていけるように。
『花冷え』
了