36
担任に、黒澤さんの妊娠の事、結婚する事、
大学進学を辞退したい事を話した。
ひどく驚かれ、そして、かなり長く粘られた。
そりゃそうだ。
今まで問題のない優等生だったのが、卒業間際でまさかの問題児に。
推薦も、俺が辞退したら、来年からの推薦枠がなくなるかもしれないからな。
壁にかけてある時計の秒針の音だけが響く。
最終的に、俺の意志の強さに担任が折れた形で、話は終わった。
それでも諦められなかったらしい担任は、こう言った。
「最終期日のギリギリまで待ってるから、気が変わったら連絡してくれ」
気なんか変わらない。
俺は働いて金を稼いで、子供を育てるんだ。
のんびり大学なんか行ってられるか。
急いで学校を出て、バーネットへ向かう。
もう忙しいはずの時間帯だ。
早く行って黒澤さんを休憩させなきゃ。
空はうす曇で、すっかり葉を落とした木の枝が、
黒いシルエットを写す。
本屋の前で、ふと足を止める。
俺、妊娠出産の事、何にも知らないじゃん。
女性客の視線を感じながら、妊婦向けの雑誌を手に取る。
どれがいいんだろう?
2、3冊手にとって、そのうち一番読みやすそうなのを一冊選んで買った。
全部買おうかとも思ったけど、節約するのに越したことはない。
これからどれだけお金がかかるか分からないんだから。
夜に黒澤さんと一緒に読もう。
バーネットに着いて、黒澤さんに体調を聞く。
ちょっとダルイけど、大丈夫らしい。
ホッとして、休憩を取ってもらう。
丁度お客さんが切れて、手が空いたところだったらしい。
少しずつ、弁当を口に運ぶ。
食べなくても気持ち悪いけど、食べても気持ち悪くなるみたいで。
必要最小限しか食べない。
ラーメンとか大好きだったのに、
今は道路に漂ってくる匂いだけで気分が悪くなるみたいで、
見ていると可哀相になる。
だけどその変化が、子供が確実に育ってる、って証拠なんだよな。
「学校、どうだったの?」
「うん、粘られたけど、ちゃんと断ってきた」
「本当にいいの? 大学行かなくて」
「いいの。子供の方が大事だから」
「……私、大学行って欲しいな」
「だけど、稼がないと」
「出産費用くらいなら、貯金あるもの。
それより大学行って、いろんな勉強して欲しい。
大学って楽しいよ。
色んな事があって、色んな人と出会って。
世界が一段階広がるもの」
「俺の行く予定だった大学、東京なんだよ?
黒澤さんここに置いて、一人で行く訳にいかないだろ?」
黒澤さんが、チョコレートを一欠けら食べた。
食事の後にチョコレートを食べると、気持ち悪さがなくなるんだそうだ。
不思議だ。
「それとも、俺と離れて一人になりたい?」
「ううん、そういう事じゃないよ」
「じゃあ、このままでいいよ。大学は行かない。
このまま黒澤さんと一緒にいるのが、俺の幸せなんだ」
「……なら、いいけど」
店のドアウィンドが涼しげな音を立てた。
客の相手をするために、俺は席を立った。
控え室を出る直前、何となく振り返って、黒澤さんを見た。
右手で目頭を押さえている。
疲れた背中。
体の急激な変化についていけずに、ダルいだけだったのだとしても。
ぎくりとした気持ちを打ち消すように、俺は無言でドアを閉めた。
続く