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担任に、黒澤さんの妊娠の事、結婚する事、


大学進学を辞退したい事を話した。


ひどく驚かれ、そして、かなり長く粘られた。


そりゃそうだ。


今まで問題のない優等生だったのが、卒業間際でまさかの問題児に。


推薦も、俺が辞退したら、来年からの推薦枠がなくなるかもしれないからな。


壁にかけてある時計の秒針の音だけが響く。



最終的に、俺の意志の強さに担任が折れた形で、話は終わった。


それでも諦められなかったらしい担任は、こう言った。


「最終期日のギリギリまで待ってるから、気が変わったら連絡してくれ」



気なんか変わらない。


俺は働いて金を稼いで、子供を育てるんだ。


のんびり大学なんか行ってられるか。



急いで学校を出て、バーネットへ向かう。


もう忙しいはずの時間帯だ。


早く行って黒澤さんを休憩させなきゃ。


空はうす曇で、すっかり葉を落とした木の枝が、


黒いシルエットを写す。



本屋の前で、ふと足を止める。


俺、妊娠出産の事、何にも知らないじゃん。


女性客の視線を感じながら、妊婦向けの雑誌を手に取る。


どれがいいんだろう?


2、3冊手にとって、そのうち一番読みやすそうなのを一冊選んで買った。


全部買おうかとも思ったけど、節約するのに越したことはない。


これからどれだけお金がかかるか分からないんだから。


夜に黒澤さんと一緒に読もう。




バーネットに着いて、黒澤さんに体調を聞く。


ちょっとダルイけど、大丈夫らしい。


ホッとして、休憩を取ってもらう。


丁度お客さんが切れて、手が空いたところだったらしい。



少しずつ、弁当を口に運ぶ。


食べなくても気持ち悪いけど、食べても気持ち悪くなるみたいで。


必要最小限しか食べない。


ラーメンとか大好きだったのに、


今は道路に漂ってくる匂いだけで気分が悪くなるみたいで、


見ていると可哀相になる。


だけどその変化が、子供が確実に育ってる、って証拠なんだよな。



「学校、どうだったの?」


「うん、粘られたけど、ちゃんと断ってきた」


「本当にいいの? 大学行かなくて」


「いいの。子供の方が大事だから」


「……私、大学行って欲しいな」


「だけど、稼がないと」


「出産費用くらいなら、貯金あるもの。


それより大学行って、いろんな勉強して欲しい。


大学って楽しいよ。


色んな事があって、色んな人と出会って。


世界が一段階広がるもの」


「俺の行く予定だった大学、東京なんだよ?


黒澤さんここに置いて、一人で行く訳にいかないだろ?」



黒澤さんが、チョコレートを一欠けら食べた。


食事の後にチョコレートを食べると、気持ち悪さがなくなるんだそうだ。


不思議だ。



「それとも、俺と離れて一人になりたい?」


「ううん、そういう事じゃないよ」


「じゃあ、このままでいいよ。大学は行かない。


このまま黒澤さんと一緒にいるのが、俺の幸せなんだ」


「……なら、いいけど」



店のドアウィンドが涼しげな音を立てた。


客の相手をするために、俺は席を立った。


控え室を出る直前、何となく振り返って、黒澤さんを見た。


右手で目頭を押さえている。


疲れた背中。


体の急激な変化についていけずに、ダルいだけだったのだとしても。



ぎくりとした気持ちを打ち消すように、俺は無言でドアを閉めた。




続く