ボクらは、作品に接する前に、
文学評論用語を使った説明を見ている。
それも、文学が嫌煙される理由な気がした。
国語の時間で触れる文学は、抜粋である。
そのうえ説明には、文学評論が使われる。
そしたら、文学はつまらないものに見えるかもしれないよね。
僕らはきっと、その誤解をどうにかすることになるのだろう。
ゆとり世代
ゼロ年世代
さとり世代
ボクらの、世代はきっと、
誤解や曲解でのみ、語られてきたのだ。
だからボクらは理解されたいのかもしれない。
だからボクらは分かり合えないのかもしれない。
だからボクらは、いつまでも子どものようなのかもしれない。
じゃあ、ボクらにしか、作れない時代も、
あるかも、しれないね。