承認欲求と神経質の狭間

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NEWS ZEROで麻原彰晃こと松本智津夫の三女である松本麗華が独占インタビューに登場した。
このインタビューに対する出演陣の反応があまりに一片的で違和感の強いものだったのでその点を自分なりにまとめて整理したいと思う。

麗華氏は父親松本智津夫の方針で幼少期から学校には通わず教団の中で生活する。目の不自由であった松本智津夫の案内役を務めるなど彼のそばにいる機会が多かった。松本智津夫の逮捕後は、 彼の指示で教団のトップとなるが教団内から親の七光りと批判され社会からは事件について強い批判を受け16歳で教団を去った。その後通信制の高校を卒業。大学を受験し合格するも松本智津夫の三女であることから入学を拒否され裁判の末勝訴し入学する。2004年からは接見が禁止されていた松本智津夫との面会が許される月に1回のペースで面会していたが彼とは意思疎通が図れないまま2008年からは彼が部屋から出ようとしないとして面会ができていないという。

まずインタビュー内での麗華氏の主張をざっくり要約する
・麗華氏は当時12歳で一連の事件の計画については何も知らされていなかった
・事件計画を知っていたのはごく一部の人間と思われる
・事件に教団が関わっているのは事実だと考えている
・父親松本智津夫の事件への関与は「わからない」
・関与を認められない理由は裁判で関与が指摘され有罪になったことは分かっているが松本智津夫本人はその関与を認める発言は一切なく娘として本人から関与を認めない限りは父親を信じたいと考えている
・今までの人生の中で事件の被害者を考えないことはなかった
・自分をよくしてくれた父親やその他の教団メンバーが凶悪な事件を起こした事を信じたくない気持ちがある
・オウム系列の宗教団体に自分は所属していない
・上記の団体に入団しようとした弟をとめようとしたり教団メンバーに「自分は社会で生きる道を選んで良かったと思っている」など個人的意見として伝えることがある

このインタビューに対するアナウンサー、コメンテーターの意見は
・父親の関与を保留にしており現実が見えていない
・自分の教団への影響力を理解していない
・二女はメディアに父親が犯した罪を認めその被害者に謝罪をしているのに麗華氏は被害者への謝罪がないのが残念

という内容であった。
松本智津夫の家族が顔出し実名でインタビューを受けたことへの衝撃からテレビに釘付けになっていた私はこのスタジオでの見解に大きな違和感を抱いた。

第一に何故彼女に罪の意識を持つことや被害者への謝罪をそこまで強要するのかということだ。そのバッシングの仕方はあたかも彼女自身が事件の加害者であるかのようだった。
事件当時、彼女が教団でも尊重される地位にいたことは事実だが事件そのものには関わっておらず(あくまでこれは本人の主張だが当時12歳の少女にそのような機密情報を伝えていたとも考えにくい)、また罪を犯したのはあくまで父親である。子どもは親の罪を背負わなければいけないのだろうか?親の罪=子どもの罪だろうか?彼女は決して被害者に対して胡坐をかくような対応ではなかったのに出演陣はこれ以上彼女に何を求めようとしたのだろう
第二に父親の関与を「わからない」と保留することに何故にこうも批判的だったのかということだ。
先述のように事件に関与した教団メンバーが松本智津夫の指示があったことを認め裁判で松本智津夫は有罪になった。もちろん私も彼が事件を指示したと思っている。
だが松本智津夫が自分の関与を認める発言をしていないのは事実だ。彼と関わりのない人間からすれば何でもないことだろうが麗華氏は彼の娘である。
日本でも冤罪事件で有罪判決が下された事案が存在する上に自分を可愛がってくれた実の父親を信じたい気持ちから松本智津夫の関与を認めたくない思いは娘としての本心だと思う。むしろこの本心をテレビで公表した麗華氏の勇気は凄いものだと思う。
出演陣はそこを一切汲み取ろうとせずただ一方的に批判していた。
第三にここまで偏った主張のみをすることがニュース番組としての正義だろうかということだ。
NEWS ZEROは放送前に出演陣やスタッフで何時間もその日取り上げる内容について議論し番組としての見解を導くと聞いたことがある。
その結果が麗華氏のインタビュー内容を批判することに決まったならそれで良い。しかしその反対側の主張(今回私が第一、第二にまとめたような内容)も番組内で触れることはできなかったのだろうか?黒なら黒にしてももう少し白になる要素を匂わせて「非常に難しい問題ですが…」等の一言もなく番組の見解が世の中に1つしかない正解のような言い方は不快であった。

長々とした文章になったが以上が放送直後の私の率直な感想を整理したものである。
個人的に今回の報道はメディアリテラシーという言葉を強く意識するきっかけとなったと思う。