だいちゃんのブログ

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私は映画やドラマ、アニメ、Jpopなど、日本の
ポップカルチャーが好きなアラサーです。
ブログやネットで自作小説を
公開しているので興味ある方は
読んでみてください。

第1章 人間が求めるもの

 

1―② 読むコンテンツ 漫画まんが

 

 ここで、読むコンテンツとして挙げるのは〝漫画〟だ。漫画は書物の歴史の中で最も新しく浅いものである。

 漫画は前回論じた小説のように、作者の創造=想像の物語が表現されている書物である。

 小説との相違点は、文章に加えて絵が描かれているということ。どちらかといえば、絵がメインとなる。

 絵を見ながら文章(台詞せりふ)を読む。今では当たり前のことだが、当時、画期的な読書法だったに違いない。

 絵本でもなく、挿絵でもない。漫画の魅力は徐々に広がっていった。

 漫画は紙の区切られた枠内コマに絵が描かれて物語が展開していく。

 漫画の原点は〝四コマ漫画〟で最後のコマに落ち(結末)が描かれて物語が完結。

新聞に四コマ漫画のコーナーが設けられて、長きに渡って認知されている。

 漫画はちょっとした娯楽に過ぎなかったが、後に進化を遂げることになった。

 そのきっかけを作ったのが、漫画の神様と評される〝手塚治虫てづかおさむ〟(代表作 『鉄腕アトム』、『リボンの騎士』、『火の鳥』、『ブラックジャック』など多数)である。漫画のことをよく知らない人でも彼の名は耳にしたことがあるだろう。

 手塚は子供の頃、体が弱く、浮いた存在だったが、

趣味の絵を描くことが、彼の才能を開花させていき、天職といえる漫画家として覚醒した。

 手塚は学業を優先、医者を志すも、漫画執筆が忙しくなり、

大学の単位取得を断念、知人から漫画家になるよう忠告されて正式デビューを果たした。

それから彼の勢いは止まらず、日本の大物有名漫画家として君臨していた。

 手塚に影響されて漫画家になった者は数知れない。

 

 かつて、東京都内のアパート〝トキワ荘〟に漫画家を目指す人材が集まった。

〝トキワ荘の住人〟は錚々そうそうたるメンバーだ。

 

 トキワ荘の入居者は赤塚不二夫あかつかふじお(代表作 『天才バカボン』、『おそ松くん』、『ひみつのアッコちゃん』など)。石ノ森章太郎いしのもりしょうたろう(代表作 『仮面ライダー』、『サイボーグ009』、『人造人間キカイダー』など)。

藤子ふじこ・F・不二雄ふじお(代表作 『ドラえもん』、『キテレツ大百科』、『パーマン』など)。

藤子不二雄ふじこふじおⒶ(代表作 『笑ウせぇるすまん』、『忍者ハットリくん』、『プロゴルファー猿』など)。

※『オバケのQ太郎』は藤子・F・不二雄と藤子不二雄Ⓐの共作。

 トキワ荘の住人は下積みを経て、有名漫画家の地位に昇りつめた。さらに彼らのアシスタント経験者にも

有名漫画家が存在する。

 一人挙げるなら永井豪ながいごう(代表作 『デビルマン』、『マジンガーZ』、『キューティーハニー』など)。

永井は石ノ森のアシスタント経験を経てプロデビューした。

 その他に手塚作品がきっかけで漫画家になったのは、松本零士まつもとれいじ(代表作 『銀河鉄道999』、『宇宙戦艦ヤマト』、『宇宙海賊キャプテンハーロック』など)。

大友克洋おおともかつひろ(代表作 『AKIRA』、『童夢』など)と紹介しきれないのが、個人的に紹介したい漫画家が二人いる。

 

 一人目はさいとうたかを(代表作 『ゴルゴ13』、『鬼平犯科帳』など)である。

さいとうは手塚に自身の作品を酷評、悪い見本にされて屈辱を味わった。

「子供らしくないはいけない」「子供らしくないアイディアはいけない」

 当時、若手漫画家だったさいとうには到底理解できなかった。

 

 その後、さいとうは自身の漫画人生スタイルのことで苦悩するが、

映画好きだった彼は「漫画で映画をつくる!」と誓って一念発起。

独自の漫画作品を編み出して、ストーリー性とリアリティがある派生漫画〝劇画〟を誕生させた。

 さいとうの代表作『ゴルゴ13』は半世紀以上のロングヒットとなり、作者さいとうが亡くなった後も連載は続いている。

 

 二人目は浦沢直樹うらさわなおき(代表作 『YAWARA』、『MASTERキートン』、『20世紀少年』など)。

浦沢は手塚の代表作『火の鳥』に衝撃を受けて漫画家を志したそうだ。

 浦沢は続々と名作を生み出していくが、ついに〝神の領域〟に足を踏み入れた。

浦沢は手塚治虫作品を改修リメイクする計画に参加した。

 タイトルは『PLUTO』、『鉄腕アトム』で連載された「地上最大のロボット」が浦沢の手でリメイク化されて、

たちまちメガヒットした。浦沢の絵柄で設定に多少変更があったが、確かに手塚漫画ワールドが描かれていた。

浦沢は手塚に憧れて漫画家となったが、本人と面識はない。それでも彼らは漫画家としての縁があり、

手塚ブランドに新風を巻き起こした。

 

 手塚は漫画家の創造主であり、漫画の黎明期・絶頂期で活躍、大いに貢献してきた。

彼を尊敬して漫画家になった者は本文で紹介しきれなかったが、無数に漫画家人口が増加・枝分かれしていき、

漫画界は繫栄して現在に至る。

 

 漫画の形式ジャンルは四コマ漫画から始まって、規模は拡大していく一方であった。

 少年漫画、少女漫画、青年漫画、成人漫画、ギャグ漫画、SF漫画、ファンタジー漫画、ホラー漫画、劇画漫画など。

読者の年齢・性別・好みに合わせた漫画が世に出て行った。

 漫画のレベルは年々上がっていき、圧倒的な画力が要求されて、登場人物は表情や動きが豊かで、

背景なんかはもはや写真と変わらない。

 なお、日本の漫画は海外でも絶大な人気を誇っており、それがきっかけで日本に興味を持った外国人も少なくない。

 

 余談だが、浮世絵師の〝葛飾北斎かつしかほくさい〟も漫画に関連性があった。

彼は言わずと知れた日本の歴史に残る絵師で、代表作は富士山が描かれた『富嶽三十六景ふがくさんじゅうろくけい』だが、

漫画の原型といえる作品も描いていた。

北斎漫画ほくさいまんが』は当時の絵本のようなもので江戸時代のベストセラーとなった。

漫画は古くから存在していた。

 

 まだ語り足りないが、漫画の魅力は以上である。