始皇帝の焚書は他の国の歴史書を燃やすことと、
民間人に医学と占い、農業以外の本を持たさないことでしたが、

医学や占い、農業以外の本を持っていた場合、
入墨の刑を受けることになるそうです。

始皇帝は法律に関しても危険視していたようで、
法律は民間人が勝手に学ぶことができず、官吏が教えるようにしていたそうです。

ファシズムのはしりのような考え方ですね。
ちなみに、始皇帝による焚書はどんなものだったのか
書いていきたいと思います。

まず、秦の国以外の国の歴史書の類を燃やしました。
歴史は秦から始ったという形にしようとしたのでしょうね。
始皇帝は神になろうとしていたのかもしれませんね。

他には民間人が持っている医学や占い、農業以外の本を守尉に渡して燃やす。
これは教育の排除ですね。
教育に対して脅威を抱いていたのでしょうね。
焚書で有名な一人といえば、
秦の始皇帝です。

紀元前213年、始皇帝は焚書を行います。

ちなみに、これは始皇帝が思いついたことではなくて、
家臣の李斯の提案だったそうです。

秦の始皇帝といえば独善的なイメージなので、
てっきり、焚書は自ら考えたものだと思っていた人も多いのではないでしょうか。