幕末を闘い抜き、生き抜いた男・斎藤一 ~新選組随一の達人がなぜ、今、新聞紙上を飾ったのか | DaIARY of A MADMAN

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毎日、ROCKを聴きながらプロレスと格闘技のことばかり考えています。


本日の新聞紙上で、珍しいというか、懐かしいというか、
あまり目にしない名前を見かけた。


■警視庁名簿に新選組「斎藤一」 スパイ活動を担当か (朝日新聞)


斎藤一


言わずと知れた、元・新選組副長助勤、3番隊組長。

最近では、漫画「るろうに剣心」に登場する「藤田五郎」としてのキャラの方が、通りがいいのだろうか。(不勉強なため、実はまだ見たことがない)

以前にも書いたことだが、私は幕末が好きで、
中でも新選組(個人的には「新撰組」という表記ではないと思っている)はかなり研究した方である。

個人的には「土方歳三」の生き様に惹かれるものが大きいのだが、
存在そのものがミステリアスな斎藤一も、お気に入りキャラの1人。

何がミステリアスなのか。
斎藤をあまりよくご存知のない方に簡単に説明すると、
まず、出自がはっきりしないのだ。

一般的なプロフィールでは「播州明石浪人」という触れ込みだが、
それ自体が事実かどうか分からない。
(父親は確かに明石出身の御家人なものの、斎藤は実子ではなく養子ではないかという資料もある)

また新選組に加入したのは京都だが、実は近藤勇率いる試衛館一派とは小石川の道場時代に面識があったという文献もある一方、
「会津藩がお目付け役に潜り込ませた間者だ」という記述もある。

斎藤の有名なエピソードに、伊東甲子太郎率いる御陵衛士の結成に参加するものの、実はそれは近藤側が密偵として送り込んだもので、後に伊東を裏切り近藤側(新選組)に情報をもたらし、
「油小路の惨劇」を引き起こしたというものがある。

これは、当時では「知恵者」と評された伊東さえ騙すことができた斎藤の密偵(スパイ)としての資質を示すものであり、このことが「会津藩が送り込んだ御目付役説」の信憑性を高めることにつながっているのだ。


そして斎藤と言えばもう一つ。
腕利きの多い新選組にあって、有数の達人という評価だ。

同じく達人として知られる神道無念流免許皆伝の永倉新八は明治維新後、弟子に「沖田総司は猛者の剣、斎藤一は無敵の剣」と語ったとされ、一説では「幕末最強」とまで言われた沖田総司よりも強かったとする声も少なくない。

会津戊辰戦争で最後まで闘い抜いた経歴、維新後は警察に入り、
あの西南戦争でも活躍した経歴から、ちょっと神格化されている面もあるとは思うが、新選組が引き起こした数多くの「事件」に名前が出ることも事実で、死線を彷徨う経験の数では1、2を争うのではないだろうか。
(大体、御陵衛士への潜入も、よほど腕に覚えがあり、度胸が良くなければできないことだ)


そんな斎藤の名前が、安倍政権が「戦後70年間の歴史を変えよう」といろいろ進めている今の時代にドーンと紙面を飾ったのは、果たして偶然だろうか。とても、そうとは思えない。

東京生まれとはいえ、長州藩にルーツを持つアベソーリがよもや新選組を好きだとは考え難いが、幕末から明治維新までの激動期に「新しい時代」を作った、あの空気を演出するための策だと言ったら、考え過ぎだろうか。(←間違いなく、考え過ぎw)

何かが変わる。

何かが起こる。

そんな胸騒ぎがするのも、今の時代だからなのは間違いない。


久しぶりに、子母澤寛先生の「新選組三部作」を読んでみようか。
そう思った、梅雨明け翌日であった。
(ちなみに、新選組には「雨」が似合うと思うのも、私だけ?)