僕なりの理由

僕なりの理由

いつも思っている。


理由がある。


言葉にはなりにくい。


でもちゃんとある。



ここに記す。僕なりの理由。


いつだってある。僕なりの理由。

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 巷じゃ軽くパニックが起こってるようで・・・。
 さっき「被曝検査をしてほしい」という患者が来ました。都内です。

 なので、ふざけたタイトルはやめました。不安がってるお友達がいたら説明してあげてくださいな。
 チェーンメールの信憑性もこれみればわかると思います。「放射線」は飛んで来てません。「放射能(広義の意味で。正確には放射線放出核種、もしくは放射性物質)」です

 ですので「放射線が飛んでくる」っていうメールは素人が作った何の信憑性もないメールです。安心してください。





 放射線に関する報道の「◯◯◯倍」って数と「μSv」と「mSv」に騙されないでください。
 これは正確には「μSv/h」「mSv/h」です。一時間そこに突っ立ってたら被爆する量です。

 実際は放射線は距離の逆二乗に比例してで減衰していきます。2m離れれば1/4です。20km離れれば1/40000です。

 つまり「正門で400mSv」の放射線はそこから2m離れただけで100mSvです。さらに2m離れれば25mSvです。


 マスコミは「通常の○○○倍」と言いますが、もともと少ない放射線です。気にしなくていいです。
 
 ちなみに有馬温泉。
 あれはラドン温泉で温泉に浸かるだけで被曝します。
「放射性ホルミシス」という考え方で必ずしも放射線が有害になるわけではなく微量なら有益に働くという考え方です。
 この被曝量は何もしない場合の40000倍だそうです。ホントかどうかは知らないけど。



 次に比較に出される線量です。
 例えば胸部のレントゲン、0.4mSvくらいですがこれは0.05秒(検診などで胸部レントゲンと撮った時にX線が出ている時間)で受ける被曝量です。

 今回のように1時間あたりの線量とそのまま◯◯倍とはできません。

 単純計算で胸部レントゲンの線量を1時間浴び続けたら28800mSvです。これは28.8Svで100%致死線量7Svを遥かに超えてます。



 じゃあ実際は今回千葉に飛来した放射性物質はどうなのか?
 おおよそ0.8μSv/h。これは1時間の値なので×24で一日分0.8×24=19.2μSv。
 これに×365すると7008μSv≒7mSv。だいたい1年間で胃のバリウムの検査1回分です。ご安心を。

 


 ちなみに東京~NY間の飛行機内での被曝線量は約0.2mSvです。これは宇宙線という放射線被曝があるからです。
 こういった自然放射線は我々の生活には当たり前のようにあるんです。
 

 ですので、TVでサーベイメーターで計測で「数字がでました!!」と騒いでいますが原発事故があろうがなかろうが「0」にはならないんです。

 マスコミが無駄に大騒ぎしてるんです。ちなみにこの自然放射線による被曝は年間2.4mSvあります。これは世界基準で、国内では1.5mSvが平均値です。


 最後に妊婦さん。胎児奇形の閾値は100mSvです。今回は千葉では0.8μSvだったので全然低いです。ご安心を。
 でも気にするなという方が無理な話です。ただ必要以上に気にする必要はないと思います。



ちなみに1000μSv=1mSv、1000mSv=1Svです。


 あと、セシウム137の半減期について。
 今回は放射線が飛んできているわけではありません。
 放射線を出す物資「放射性物質」が飛んできているわけです。放射性物質には半減期があって半減期というのは放射線を出す能力が半分になるまでの時間です。

 セシウム137は30年ですが、これは物質的半減期で人や取り込まれる先の生態的な影響を考慮した半減期、生物学的半減期は約70日だそうです。

 ようするに0.8μSvは70日後には半分になるんです。(単純に考えて。セシウムだとして)




・・・・と、まぁ拙いまとめです。ご参考になれば幸いです。ご質問あれば可能な限り答えます。馬鹿がばれないように調べます。。。
 疲れてきたり考えすぎたりすると、世の中どんどん難しく思えてくる。難しく考えているんだろうし、悲観的なぶん重く暗くなってくる。


 嫌だなぁっと思っていることがある時も同じ。相乗効果でどんどん暗くて重くて難しくなる。


 嫌だなぁ嫌だなぁ嫌だなぁ嫌だなぁ・・・・・。




 でもこういう時って終わってみたり、長かったトンネルを抜けてみると案外たいしたことなかったって時が多い。
 僕が思っているよりも簡単で、シンプル。




 大切なことはいつだってシンプルに考えること。冷静にという意味でもシンプルに。
 正しいことは正しいし、仕事は仕事だし、妻は妻だし、子は子だし、大変なことは大変だし、やりたくないことはやりたくないし、でもやらなきゃならないことはやらなきゃならない。



 そうシンプル。
 
 難しくしているのはいつだって自分だ。
 怠くさせているのもいつも自分。
 悲観的な自分だ。そしてそのことをよく知る自分だ。



 シンプルにシンプルに。
 いつだって。 /font>
 この世に起こっている、すべての「当たり前」なことは、それは必ず誰かが当たり前になるようにやっている必然である。

 誰かが当たり前になるように来る日も来る日もやっているのである。
 でも残念な事だが、それを当たり前だと思っている人はその事に気がつかない。
 仮に気がついていたとしても、人は「当たり前」の事から忘れてしまうから、その事に対する感謝だとかありがとうだとかどこかでなくしてしまう。



 例えば毎日働きにいってくれていること。
 例えば毎日家事をやって家庭を護ってくれていること。
 例えばいつも傍にいてくれていること。



 極めて単純なのに長い生活の中で当たり前になって、そして忘れてしまう。
 忘れないで、所詮他人だよ?毎日毎日傍にいてくれているんだよ?
 他人なんだから努めないといけないんだよ?






 忘れていた事。忘れてはいけない事。
 だから記す、僕なりの理由。
 ここに残す、僕なりの理由。



 人は忘れてしまうから。すごく哀しくて残念だけど。