なんか、こうさ、多様性、多様化とか、みんな違ってみんないいとか、個性を大事にとか、自己を殺すなとか、集団に埋もれるなとか、それぞれの意見をハッキリ言うとか、爪痕残すとか印象に残ることとか。

なんかそういうのに、疲れた、ってわけでもないのだけど。

ことさらにそういうのを主張したがるのが、そもそも個性尊重されてないことの裏返しなんじゃ?っていうか。

まぁ、それはいいや、いまに始まったことでも一朝一夕でどうなるもんでもない。

ただ、私はそういう主張をあまりしないけど、だからといって尊重しなくていいと思ってるわけじゃないよっていうことは書いとくけど。

たまにはき違えっていうか、個性の解釈おかしい人がいるのは、どうかと思ってるけども。

(ただ、表立って何かそういう活動をしないことに対する批判?みたいなものをひとに突きつけるタイプの人もときどきいるようだけど、結局、何をどう主張したとして、そのことに対する認識というか意識が、対する相手の中で変わっていかないことには強硬策の主張では、あるていどの大勢というか過半数の同意がたとえ得られたとして、変えられない人が取りこぼされてそこから不満や反対意見が野火のように燃え広がるだけっていうか)

(いや、まぁそれもいまはいいや)




んで、逆に思う。

みんな同じって、それはそれで凄いことなんじゃないかって。

もちろん、個性がどうとか言う人にも、平等であるべき事柄は必ず存在すると知ってるというか、そこはそれとして主張することはもちろんあるよね、給付金とか、保証とか、そういうのね(乾笑)

ま、私が言いたいのはそういうのじゃないんだけど、そこは個性いらんのかい、みたいなな(笑)別にいいけど。

で、そうじゃなくて、○体大とかの集団行動とか、ブラスバンド、マーチングバンドとか、合唱とか、式典とか行進とかさ、体育祭とかの行事とか、ラインダンスとか。

みんな同じ服着て、同じ動きして、同じ表情でさ。

一人の個性の素晴らしさだけでは表現し得ないものがあるこの世界が、それはそれとして好き、という話、かな。

そういうのの中には、別にやりたくてやってるわけじゃない人もまぁまぁの割合でいたりして、内包するもの、というか内に抱えるものはバラバラのはずの多数の人間が、本能に根差した野性動物のようなそういう集団行動とは違う原理で、寸分違わず揃った動きで作り上げる何かって、なんか、凄くない?

って、ふと昨日思って。


物作りなんかも、個性より同じことのほうが凄い部分もあるよねって思ってる。

職人さんが物を作るのに、気温や湿度や条件や、毎日違って、しかも全く同じ毎日が続くわけでもない、嫌なことや悲しいことがあった日も、同じものを同じように作り続けるのは大変なことで。

まぁ、それを仕事に選んでるんだからそうだと言われればそれまでだけど。

個性的なひとつの作品をアートとして作ることもそれはそれとしていいけど、私たちは全てをアートに囲まれて生きるわけじゃない。

同じであること、同じものを望めば得られることに感動を覚えることが、あってもいいかなって。

工場とかでもそう、同じものを、違う人が作っても、同じクオリティとか、本当は凄いことじゃないのかな。

それもまた、やりたくてやってるわけじゃない人も、そうじゃない人も同じものを作ってて。


私は、さ、人と同じようにしたくてされたくて、なりたくて、だけど、同じにしようとしてるはずなのに、出来なくて。

だから、ひとが当たり前に出来てることを、当たり前には出来ないのが嫌になって自分で壊したりして、ときにそれを個性とはき違えて、ひとから浮いてしまったり、あえて埋もれようとして失敗して、個性以前にただの不出来だろって思ったり(笑)

みんな同じ、は、誰かの何かの結果として、下手な個性なんかより、誇るべきものかもしれないと思って。


個性、や、多様性、という観点で見れば、日本人は他国に比べれば劣るのかもしれないけど、そうでない部分で、どこにも劣らないのなら、そっちを大事したいと私は思うのだけど。

どうも比べたがりが多いのかな、他所はああでこうで!っていう人がいるわけで。

それは結果として個性的ではないのでは?(笑)

その、比べる思考があるから、集団行動が得意だとも言えるなら、それこそ、そういうとこ大事にすればいい。




そんなこと思ってたときに見てた昨日の紫陽花がこれなんだけど(笑)
まぁ、私が枯れ専(人相手の話ではない笑)で、枯れかけた花や葉、最盛期ではない植物が好きなタイプなのももちろんあるけど、こうやって見頃直前みたいな綺麗な色した花がひとつ、パッと目立っていることよりも、枯れかけて色褪せた花が揃っている様のほうが美しいなぁと思って見てて。
共に生き、共に色褪せよう。




人が一人で生きられないのって、みんな寂しがりやなわけじゃなくて、そうだからこそできる何かがあるってことなんじゃないかなとか、そんなことぼんやり思ったりしたよ。

もちろん各々個性的で、それぞれ上手く補いあう関係が作れるならそれはそれとして。


個性と悪目立ちの違いのわかる大人であろう。