敬愛サッカー部成長日誌③ | 写真家・久冨大のフットボール日誌

写真家・久冨大のフットボール日誌

他のメディアが報道しないフットボールを中心に切り取ります。

写真の購入については、hdai63@yahoo.co.jpまでご連絡頂くか、会場でお気軽にお尋ねください。
2日以上返信がない場合はお手数ですが、迷惑メールフォルダーの確認をお願い致します。

熊本の震災の影響で、開幕が1週間延びた総体予選だが4月23日には無事に初戦を迎えた。
私は敬愛高校に帯同して、ベンチから試合を観ていた。

現在、北部ブロックは3部構成になっており、敬愛は最も下の3部に所属、3チームづつにA~Dのパートに別れ、各ブロック1位がトーナメントを闘い、3部の1位~4位までを決定、1位になれば、次の新人大会予選は2部スタートとなり、2位は入れ替え戦に回る。

県大会出場の可能性は与えられているが、レギュレーションは複雑である。

敬愛は、小倉商業高校、戸畑工業高校、若松高校と同じAパートとなった。

初戦の小倉商業は、堅さが見られたが、児玉 慧太が先制点を挙げ、リードを奪った。先制から再び押し込まれる場面が続いたが、前半のうちに追加点を挙げて良い形で折り返し、後半は追加点は無かったが、無失点で勝利した。

試合前に選手と話し合ったプランでは、10分頃に児玉 慧太の運動量が落ちる為、入江裕太と入れ替える作戦だった。しかし、その時間を過ぎても彼の運動量は落ちず、流れも良かったことから、交代を大幅に遅らせた。 
この判断が流れを壊さず、勝利した鍵であっただろう。

私としては、前半に激しいチャージを受けていたことや、翌日も試合があったこと等から、プラン通りの交代を考えたが、選手の意見を尊重し、残り10分の守りに入る時間まで、交代を見送った。

交代を焦る私に、投入される本人たちが、『まだ大丈夫』と制止してくれなければ、流れを崩していたかもしれない。
何よりも私が感激したのは、その言葉に選手間の『信頼』を感じたことだ。この試合は勝利以上に収穫を感じる物だった。

翌日、児玉 慧太がチャージを受けた患部が腫れ、出場不可能に、古賀 翔梧も前日に受けたチャージが影響して欠場。
重要選手を2人欠き、この日はスタメン選手にフル出場を強いることになってしまった。

前半こそ無失点で切り抜けたが、後半に痛恨のPK献上で先制を許すと、間もなく追加点を許し、1点は返すも、その後も得点を追加され、3-1で敗れてしまった。

この時点で首位は最終戦で当たる若松高校、直接対決勝利で、勝ち点は並ぶが、得失点差が5開いていた。
その1試合を勝つことに全力を尽くすのか、あくまで予選突破を目標に5点差以上で勝つのか、選択は選手に任せ、ミーティングをさせたところ、『普段通りに戦う』という回答だった。
この時点で、練習内容も選手に任せることにした。

迎えた若松戦、古賀 翔梧は問題なく出場できるが、児玉 慧太は蹴る時に、痛みが残っていた。アップの時も動きが重く感じ、出場させないことも考えたが、本人と何人かの選手に意見を聞き、出場させることにした。

試合前の敬愛イレブン

選手たちが声が出ておらず、コッミニュケーション不足と、メンタル面での問題が露骨に現れた。
早い段階で2点差とされ、苦しい展開となった。

前半20分頃、やはり児玉 慧太の動きが重く、交代させる。選手が立てたプランでは、前半まで彼を出場させて、後半に3年生を投入する予定だった。選手のプランに口を出さないつもりだったが、怪我を悪化させる危険を考え、ここは押し切った。

交代から更に流れが悪くなり、前半だけで4失点、大差をつけられる。

後半からはリスクをかけ得点を狙い、チャンスを増やしたが、1点を返すに留まり、5-1の大差で敗れた。




前半の交代から流れが悪化したことは、言い訳の余地がない。戦術的に考えるならば、交代はさせないし、児玉 慧太自身も私に不服を感じたかもしれない。

しかし、何かあった際に適切に対応できるスタッフが敬愛に居ないことや、怪我を侮って選手生命を潰した選手を身近で見た経験から考えて、交代に踏み切った。
これが、経験を持った指導者なら続行させたこもしれない、それは私の力不足であり、本人と最後の試合であった3年生には申し訳なく思っている。

1ヶ月半の間、手探りの指導に付き合ってくれた3年生には、心から感謝しています。大学合格に向けて頑張って下さい。最後に全員笑顔で卒業試合ができることを願っています。