こんにちは、医療職のダイです。




病院で事務職として働いていた僕は「言語聴覚士になりたい」と一念発起!…46歳の時でした。

48歳で国家試験に合格して、言語聴覚士として働き始めました。

臨床10年目の57歳の夏、かつて断念していた「心理職の資格取得」のチャンスがあることを知り秋から準備を始めました。

そして、58歳の夏に第5回公認心理師試験に合格することができました。



今回のブログ記事では、試験当日について綴ります。

試験前日の朝より、突然のアレルギー鼻炎のような症状に終日苦しみましたが、

試験当日は快適に目覚めることができました。

朝食をしっかり摂って、コーヒを飲んで「よしっ」と気合を入れてホテルの裏口に呼んでいたタクシーに乗り込みました。

行き先を告げると「お客さん、今日はなにがあっているのですか?」と運転手さんに聴かれました。

駅前はタクシー待ちの長蛇の列ができて、会場前にも車が付けられず、少し手前で降りて欲しいと言われました。

今日の試験のことや「自分達のような現任者にとってはラストチャンスの年なので、受験者が殺到したのでしょうね」など雑談を交えるうちに現地に到着。

運転手さんに礼を言うと「頑張ってくださいね」と励ましていただきました。

会場前に歩いて行くと

「!」

我が目を疑いました。




入り口から受験者の長蛇の列が手前まで数百メートル続いていたのです。

最後尾に並び、それから30分程度かけて会場に入場しました。

入り口では感染症対策がしっかり取られ、そのせいもあり入場によけい時間がかかっていたようでした。

試験会場に入ると、その受験者の多さに再び驚きました。

現任者の職種も様々だと思いますが、会場内では、幅広い年齢層の男女の受験者でごった返していたのです。

複数あるトイレの前にも列ができていました。

そんな中、同世代だろうと思える人が何人かいらっしゃって、ちょっとした安堵感を覚えました。

試験の概要は次のとおりです。

▪️出題方法
全問マークシート。午前77問、午後77問の計154問です。

▪️合格基準
正答率60%程度以上(程度というのが微妙だと思いました)第1回〜3回までは総得点230点に対し、得点138点以上が合格でした。しかし、第4回試験では143点以上が合格でした。ということは、今年も合格基準の点数が変わる可能性を考えました(蓋を開けるとその通りになりました)

▪️試験時間
午前の部:10時〜12時(120分)
休憩 時間:12時〜13時半
午後の部:13時半〜15時半(120分)

こうして字面で見ると大変そうですが、実際はあっという間の一日でした。

問題自体は午前、午後共に1時間程度で解いてしまって、残りの時間は解答の見直しに当てました。

どうしても迷ってしまう選択肢が何問かありましたが、経験的に最初に考えた答えを優先させました(僕の場合は、答えを書き直すと誤答になる可能性が高かったのです)

自分にとっては、午前が難しく、迷う問題が多かったようです。

午後はそれほど迷う問題もなく、120分間粘った後の帰りの混雑を嫌って、終了40分前に挙手して試験会場を退出しました。

受験後の感触としては、合格点が取れたとは思えませんでしたし、全くダメだったとも思えませんでした。

今まで解いてきた過去問や模擬試験終了後の時と同じ感覚「出来たか出来なかったかよくわからない」状態でした。

それでも、自分なりに努力してきましたので「どのような結果になっても悔いはない」と思っていました。

帰宅して、晩ごはんを食べてパソコンを覗いていると…!!

なんと解答速報が出ていたのです。

自己採点の結果…点数的には不合格でした。

合格基準に2点届きませんでした。

その後、解答速報の回答の修正が更新され、採点すると、138点と合格基準ギリギリでした。

言語聴覚士試験の時も、解答例が出所によって割れたり、不適切問題があったりして蓋を開けてみるまで、合否はわからないといったことがありました。

当時の同級生の中でも、自己採点では1〜2点足らなかった者が合格していたり、合格点ギリギリ取れていた者が不合格になったり、といったことがありました。

しかし、僕はシビアに捉えていて、自分は不合格だと直感しました。

そして、いろんな所が出している解答速報に自分の回答を照らし合わせて一喜一憂するのはやめようと思いました。

ですので、翌日から新手の解答速報が出ても一切見ませんでした。

翌日の月曜日、出勤すると、朝一番に総務の担当部署に行き、受験終了の報告と、今回の受験にあたり書類を作っていただいたこと、応援していただいたことに対してお礼の言葉を述べました。

結果については「解答速報による自己採点では合格しているとは考えにくい」旨を伝えました。

このような形になり、僕の公認心理師へのチャレンジは「幕を降ろした」と思っていました。