46歳の春、それまで病院に勤務していた僕は、一念発起!某医療専門学校の言語聴覚学科に入学しました。
言語聴覚士になりたい一心で
起床:朝4時半
帰宅:午後8時
通学:片道2時間半
といった生活を2年間続け、国試に合格することができました。
ここでは、当時の自分を振り返っていきます。
今回のブログ記事は、国試受験時のエピソードについてです。
国試前夜からかなりの冷え込みで、当日は雪混じりの中、ホテルから会場まで徒歩で向かいました。
試験会場入り口では、いろんな学校の言語聴覚学科の先生たちが立っていました。
受験に来ている教え子の激励に来ているようでした。
それぞれの先生たちの前には、教え子たちが集まり、あちらこちらに人集りができていました。
僕も自分の先生を見つけると、アイコンタクトでご挨拶。
先生たちは中に入ることができません。
「寒い中おつかれさまです」
と心の中で思いながら、エレベーターに乗って自分の受験番号のある教室を目指しました。
クラスメート達とは受験番号が続いていますので、教室の中はいつもの顔ぶれが揃っていて気持ちが和みました。
みんながやや緊張の面持ちしていましたので、ちょうど定期試験の時の雰囲気に近いものがありました。
試験開始前に説明があり
携帯電話を回収され
やがて、試験開始へと。
あっという間の150分が終わりました。
集中でき、自分の解答をゆっくり見直すことができました。
お昼ご飯の前に、会場入り口で待っているらしい先生に、元気な顔を見せるためにエレベーターを降りていきました。
そこでは、各学校の先生を取り囲んであちこちに人集りできていました。
「もうダメー」
「難しかったですー」
「午後から挽回」
なんて賑やかな声が飛び交っていました。
そして…
ふっと視線を先の方にやった瞬間に、その人と目がバチッと合ったのです。
「!!!!!」
どちらからともなく「おー」と互いに声を発しながら駆け寄り手を握り合っていました。
彼こそが、数年前に「言語聴覚士養成学校の先生になります」と言って病院を退職していった同じ職場だった言語聴覚士のKさんだったのです。
言語聴覚士のKさんこそが、僕が言語聴覚士を目指すきっかけとなった人です。
間違いなく、彼がいなかったら、国試の会場に僕はいなかったはずです。
また、彼の仕事を間にあたりにして、高齢化社会における言語聴覚士の必要性をひしひしと感じたものでした。
5年以上ぶりの再会でした。
彼は、病院を退職後、隣の県の学校の言語聴覚士学科の先生になっていました。
そして、今回は遠征組となる教え子たちの引率で国試会場に来ていたのでした。
この日の再会を境に、再び、言語聴覚士のKさんとのお付き合いが始まりました。
その後のお付き合いにおいて、それまでと決定的に違ったこと、それは「言語聴覚士同士」という関係性が生まれた事でした。
さらに、数年後には、言語聴覚士のKさんには、僕の研究指導をしていただくようになりました。
学会における研究発表で、一緒に名を連ねるような、師弟関係にまで発展したのです。
その時には、単発的に思える過去の出来事達も、長い年月が過ぎてみて振り返ると、しっかり線で繋がっていたのです。
「人生において意味のないことはない」
としみじみ思えてきます。