僕が大学を卒業してから医療職に就くまでの経歴は以下の通りです。
① コンピュータ会社に就職
② 体外診断薬メーカーへ転職
③ 新規事業に伴う別会社への転職〜退職
④ 紆余曲折の黒歴史
⑤ 病院へ転職
現在は、⑤の病院へ入職後のお話しです。
病院の事務職に就いて6年あまり経過したある朝のこと。
布団から出られませんでした。
足腰に激痛が走り起き上がれないのです。
その2、3年前から年に1〜2回程度、腰痛が数日間続くことがありました。
整形外科を受診したことがあり「椎間板ヘルニア」の診断を受けていました。
「椎間板ヘルニア」とは背骨の骨と骨の間にある椎間板というものの一部が飛び出して神経に当たり、手足の痛み、しびれなどの症状が出る病気です。
椎間板とは骨の間にあるクッションのようなもので、背骨の動きをスムーズにする働きがあるのです。
これまでの痛みは、多少無理すれば出勤できるレベルでしたが、この時の痛みの程度は違っていました。
動くと腰の痛みに合わせ左脚に激痛が走り、すぐには立ち上がれません。
しばらく布団の中でじっとしていましたが、やがて尿意を覚えました。
寝室から廊下を挟んだ向かいのトイレに、30分かけて、痛みに堪えながら這っていきました。
この日から、人生初の休職を経験することになったのです。
受診及び検査の結果、痛みの原因はやはり「椎間板ヘルニア」でした。
腰痛と椎骨から飛び出した椎間板が坐骨神経を圧迫した結果、左足に激痛を伴っていたのです。
痛み止めを処方していただき、自宅で安静にしつつ、通院しながら「牽引療法」をしばらく続けました。
「牽引療法」とは、牽引を行うことで狭くなった骨の間隔を拡げ神経根や椎間板への圧力を軽減させ痛みを緩和させる目的で行われます。
しかし、僕の場合は、牽引療法の効果は見られませんでした。
主治医から「手術を考えてみては」という提案がありました。
自分の周りで椎間板ヘルニアの手術を受けたという方を何人か知っていましたが、その中には症状が改善した人はひとりもいませんでした。
ですので、僕は「椎間板ヘルニア」の手術に懐疑的で、身体にメスを入れることに対し抵抗がありました。
そんな時に、趣味で繋がっていた20代のN君の事を思い出したのです。
「重度の椎間板ヘルニアの痛みに苦しんでいた」
「病院で治せなかった痛みが、自費診療の治療院に治療でなくなった」
という話をしてくれたことがあったのです。
藁をも掴む気持ちでN君に連絡を取り、自分のことを相談し、その治療院を紹介してもらいました。
医療機関に勤務する自分が、保険診療でない治療法を選択することに対して、多少の違和感を覚えましたが
そんな事を言ってられる状況ではなかったのです。
とにかく痛くて辛い…
僕は、その治療院で初診を受けた後、そこの先生に治療していただく事を決意。
週一の休診日以外は、2ヶ月間毎日治療に通いました。
その甲斐あって、2ヶ月半の休職期間を要しましたが、無事に復職を果たしました。
それ以降、現在まで10年以上経過していますが「椎間板ヘルニア」の痛みの症状は出ていません。
おかげさまで、毎日元気いっぱいで職場に通うことができています。
辛かった腰痛体験を通して、ある意味、僕は、患者目線の「腰痛の専門家」になれました。
この治療院を通しての体験談で、何本かブログ記事が書けそうですが、それはまた別の機会にまわしたいと思います。
休職していた期間は、それまでの自分の仕事を振り返り、その後の自分について、たくさん考えることが出来ました。
また、闘病期間とは言え、家族と沢山の時間を共有する事ができました。
当時は、とても辛かった休職期間でしたが
「自分を振り返るのに必要な時間」
だったのだとも思えてしまうのです。
僕は、この休職した2ヶ月半を
「痛かった恵みの時間」
そんな風に意味付けしています。
その時に自分がなにをどのように考えたか?
それは…次回以降の記事で紹介したいと思います。