こんにちは、医療職のダイです。




僕が大学を卒業してから医療職に就くまでの「職の遍歴」はざっと以下の通りです。


① コンピュータ会社に就職
② 体外診断薬メーカーへ転職
③ 新規事業に伴う別会社への転職〜退職
④ 紆余曲折の黒歴史
⑤ 病院へ転職


今回の記事は①についてです。




就職当時はパソコンはまだまだ高価な電子機器でした。

自分で持っている人は少なくて、パソコンオタクだとかネクラだとか言われていました。

パソコンのOS(オペレーティングシステム)はWindowsの前身のMS-DOSで表計算ソフトはロータス123が主流でした。

いまではエクセルで簡単に作れる表計算を、夜を徹して、COBOLという言語でプログラミングすることもしばしば。

そんなパソコンがフツーに端末として使えるようになるのは、もう少し後のことです。



当時は、オフィスコンピュータにケーブルで専用端末を必要台数繋げて運用するのが主流。

無線なんてなかったので、大病院では配線が大変でした。

クライアントサーバーシステムという言葉が生まれた頃です。


仕事内容は、受注ユーザーのオフィスコンピュータに、システムソフトを納品し、運用管理するといったものでした。

その内容は多岐に渡り

・納品前の打ち合わせ
・システム変更
・プログラム修正
・テスト運用から本稼働の立ち合い
・納品時の工事の手伝い
・職員さんへの運用指導
・アフターフォロー

とたくさんのことを経験しました。


特に操作指導は、当時ならでは!の大変さがありました。

電話対応時にはキーボード入力して頂くために、該当キーの場所を口頭で

「上から2番目の列の左から3番目の『い』のキーです」

なんて受話器越しにやっていました。

タイピングできる人が稀だった昭和〜平成の変わり目の頃。

ローマ字でなくカナ入力が主流で、ほとんどの人が人差し指を使っての入力です。

しかも、一音ずつ声に出しながらタイピング。

その頃世代の人は、キーボード初心者ばかりでしたので、それが普通でした。

キー操作が上手くいかない時は、よく電話がかかってきまして…

その時のお客さまの第一声は決まっていて…

それは、

「コンピュータが壊れた」

でした。




事務処理ではまだまだ手書きが多く、キーボードがそれほど普及していなかった頃の、

ほんとにあった怖い話です。