ひとり
ひとりが選ぶ道は当然のことながら全く違っている
それは生れ落ちた瞬間から異なる立場だとか環境だとかに反映されてその姿を変えていく
それだのに同じような錯覚におちいるのは集団化の日本ならではのものなんだろうか
人の数だけドラマがあって
脇役なんて言葉は一視点の映像文化のみの言葉であって
輝いている人であっても沈んでいる人であってもスポットライトは当たっている
たまに客観的になって自分を振り返ってみるのが好き
映像を作っていく経験もあるからだろうか
想像での自分のドラマ化をして画面を頭の中で構成することが多い
過去は過去らしくフェードアウトなんかして
特殊効果までつけて自分の生きてきた道を何度も電子回路で放送する
時間を追うたびに変わる歴史番組
誰が見てもひとつのドラマであるかのように精密に、おもしろく
そんなことをしていると自分の人生もおもしろいように思える
平凡じゃなくて、私の普通もドラマ化することができる要素がつまっている
何気ない会話だって撮影してみると、ほら、それだけでリアルなドラマ
例えば友人と会話をしていた場面を思い出す
私の一視点ではそれはドラマとは言いがたい
最初は話をする場所の画面を写す
それからどんどんクローズアップして互いの全身が写るまでにする
それから話手をそれぞれアップ
掛け合いは横顔にして本題ではカメラを正面に持っていく
そんな想像をする
するとその会話はテレビでのドラマの一部分であるかのように切り取られて残っていく
私の中の頭のビデオテープ
何度も繰り返されるのは自分の視点のみだけでなく
周りの風景、別視点様々だ
自分が人生の主人公であるようにと想像し、生きる人はどれ位いるだろう
知っていても常に意識しているだろうか
決断する主人公を格好いいと思い、卑怯に走ってしまいそうな自分をドラマのキャラクターに置き換えて制御する
どうしてかって
それは私が見て、尊敬するようなドラマの主人公のようにいたいから
悩んでも、自分の芯を通して生きていく姿をずっと撮っていきたいから
これが私の自分の人生の振り返り方
高校を卒業して、周囲の友人達とは当然ながら全く違う道を生きていこうとしている
これから互いの予定もつきにくくなるだろう
就職、専門、大学、浪人
様々な自分の道を歩む姿
夢を追い、自分で決め、そして進んでいくその姿はもうひとりの我として輝いている
それぞれに私はエールを送り、尊敬する
彼女達、彼ら達がどんな思いを抱いているのかは分からない
ただ、私はその人生の一部に少しでも関わったことに感謝している
それぞれ
自分だけの道を
自分だけの歴史番組を
とても嬉しいと思うのには
ちゃんと理由がある
頑張って、いこうね