〜障害者として生きる希望を聞かれた〜 | 脳梗塞クズ人間

脳梗塞クズ人間

脳梗塞になってしまった。クズ人間になってしまった。自分がとても人間とは思えない状況。綺麗事じゃ片付かない障害者のもがき。なんとか復活する道はあるのだろうか…


〜障害者として生きる希望を聞かれた〜


 ある、脳梗塞後遺症障害者から問われました。「これからの人生、どうやって希望を持って生きていったら良いんだろう?」と。


 もう、なる様にしかならないと思う。それが現実


 リハビリとか頑張ればなんとかなるとか、なんか回復するかもって励ますのは綺麗事、なる様にしかならない。


 夢や願いと同じで、現実じゃ無い。


 「リハビリとか諦めた時、あなたの回復は止まる❗️」とか、ドヤ顔で偉そうに言ってた療法士がいた。


 確かに嘘じゃないと思う。リハビリを頑張れば頑張っただけは効果はあるかも。一生頑張り続けて、完全麻痺の手がピクピク少し動くかもよ。だから?なんか役にたつん?で、人生の時間切れ。


 そうゆうのをね、現実を無視した綺麗事って言うのよ。


 そんな綺麗事に、限りある時間を費やす余裕なんかもう無いよ。直視すべきは今の現実。喋れないとか、動かない手や足。


 どう何を努力しても、元通りなんて絶対無い。回復する様なやつは、放っておいても回復するし、ダメなやつは何やってもダメ。


 初詣で神様に祈っても、何も解決しないよ。


 今、現実に自分に起きている障害、喋れないとか動かない手や足に正面から向き合って、受け止めて受け入れて、やっとそこから希望が探せるかもしれない


 もう、健常者並みの希望を持つのは夢と現実逃避の空想。そんな事、頑張ったり、空想している間に人生終わります


 今、残された身体の能力から、出来る事を見出して、希望にできるか、諦めて、少なくともこれ以上苦しみたく無いから、早く人生終えるか、自分自身も苦悩の毎日です


 ついでだから、大嫌いな綺麗事一句、


 「貴方が生きているだけで、その命にもう、価値があるよ」


 ある程度以上の障害を負って、生きながらえちゃった人なら共感すると思う


「自他共に害はあれど、価値は無い」って


 本人も、大変。周りの介護する人も大変。下手すりゃ、介護する家族の人生をも狂わすかも


 結局、重度の障害者が生きちゃうと、誰も幸せは無い。


 それが、綺麗事じゃ済まない現実。本人はもちろん、介護する側だって、いつか限界がくるんよ。人間だから


 たまにニュースにもなるじやん、本当に行動しちゃう奴。


「早く死んでくれ❗️」とか、例え家族だって、介護側も追い詰められて、あり得ない様な心境になっちゃうんだよ。


 最初は、そんな事、間違っても思わないだろうけど、それが人間の限界、現実。


 死ねば一時大変で、悲しみとかを生涯背負うかもだけど、いずれ生きてる者は立ち直り安定した生活に戻っていきます。それが人間が持つ本能的復元力。


 重い障害背負って生きちゃうと、本人も介護者も、その苦悩と不安定な生活ががずっと続く


 どっちが幸福かはともかく、どっちが平穏かは明白だよね。


 結論として、もうなる様にしかならない。ただ、生きてる限り、その人生に、もう平穏は無いだろう