インナーチャイルド癒しは誰にでもできるけど、初めは誰かと一緒にやるのがいいと思います。

 
自分を苦しめてきたその価値観は本当に必要なものなのか問いかけてくれる人がいると、ナイスな方向に思考が進んでいきます。(慣れてくれば、それも自分でできるようになると思う。)
 
 
インナーチャイルドセラピストが癒してあげるのではなく、癒したい人が自分で癒せるようサポートすることだと私は解釈しています。
 
 
 
 
でも、いままでの私は、
苦しんでいる人を、
 
''私''が、
 
「変えてあげたい、救ってあげたい」
と、思っていました。
 
 
 今でもついそう思ってしまう時があります。
 
 
 
けど、人をどうこうしようとしなくていいと思うんです。
 
 
 
どうこうしようと思うのは、ある意味怨念でしかない。
 
 
 
自分の正しさを証明したくて
 
 
 
存在価値を見出したくて
 
 
 
そのために誰かを利用するのは、
とても罪深いんじゃないだろうか。
 
 
 
 
だから、誰かのために役立つことで、人の価値が決まるような生き方を正しいとすることに、なんだか釈然としない。
 
 
 
 
私は、創価学会の家庭に生まれ育ちました。
 
世界平和とか絶対的な幸福とか
信心とか功徳とか折伏とか
勤行、唱題とか
祈りは必ず叶うとか
正義、勝利、前進、悪を許すな!とか


こんな言葉が溢れていました。


とにかく、人のために生きること、世の中で必要とされることが、この仏法の正しさを証明することだと教えられてきました。
 

 
両親が信心強情で、幹部をやっていたし、私もそれなりの役職について活動していました。友人を入会させたこともあります。選挙活動も頑張りました。財務といってお布施みたいなものも、結構やりました。
 
 
 
それで、離れていった友人や彼氏たちもいました。その中の彼氏には、駆け落ちを持ちかけてきた人もいます。
 
 
「親も宗教もなんのしがらみのないところに行こう。今から着の身着のまま家出て来れないか?」
 


 
昼ドラかっ‼️
 
 


で、私は

「それはできない。家族は捨てられない。ごめん・・・」
 

と涙ながらにお別れ笑い泣き
 
 

って‼️
 
 
 

それが‼️

そのおよそ10年後には、自分から捨ててやったわいニヒヒ
 
 
うちの両親にとっては
「創価学会=家族の絆」
 
みたいなもんだから、私が脱会することは、自分の娘に生き方を全否定されたことと同じ。親は捨てられたと、自分たちの思いは伝わらなかったと受け取っているでしょうね。
 
 
小さな頃からあった違和感。
 
なんでそんなこと言うんだろう。
なんでそんなことやるんだろう。
 
挙げたらキリがないんだけど、選挙のこととか、裏切り者や相容れない相手に対してちょー手厳しいところとか、女子はパステルカラーのスーツを着るようにと言い汗脱会したら不幸になると言われ、親は毎夜の会合で留守にする。疑いを持つことさえ、いけないことだと言われた。



何が正しいのか知りたくて、いろんな本や映画を観たり読み漁りました。



いつしか違和感は、恐怖になり
 



こんな宗教やってたら、いつかヤバイことになる滝汗
 



これは間違っている‼️




早く家族を止めさせなくちゃあせる




いい加減目を覚まして‼️
 
 


って、親とは言い争いになった。



どちらも譲らない。

なんで分かってくれないの⁉️




てなる。




でも、これって

私も親と同じことしてる。

自分が正しいんだと。

それをあんたも認めなさいと。




結局、私は親から与えられた価値観の
ど真ん中にいた。
 

 

色々観た中で、森達也さんの「A」オウム真理教信者を追ったドキュメンタリーが衝撃でした。


何が正しいとか悪いとか


白とか黒とか


そんな無理してどちらかに決めなくていい。






そうは言っても、どこかでまだ白黒つけたがっているんだろうな。

私を抑圧してきたものへの反発。

親と過ごす時間を奪われた怒り。

許せないものがたくさんある。




だけど、これだけははっきり言えます。



脱会して約10年
私は不幸ではありません‼️



むしろ、自分の軸が見えてくる〜



こんな感覚はあの頃にはなかった‼️



あの頃の私より、今の私の方が好きさ💕