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中学校の合唱コンクールで歌った方も多い「大地讃頌」について、何か文章が書きたくなったので書いてみます。

以前、僕はピアノのレッスンで、J.S.Bachの「平均律クラヴィーア曲集1巻」のH durの曲を見てもらった時、先生からこう言われました。
「H durってどういうイメージ?」
調によって、既存の楽曲と当てはめて、どのようなイメージか、なんとなく想像できます。
(因みに僕は、c mollは青春の葛藤だと考えていますw
ベト5やブラ1が最初はc mollで第1楽章が提示されて、やがて違う調に行きながらも、C durに答えを導き出して喜びを掴み取る!て感じが中二病の心をくすぐりますw)
ここでH durがどういうイメージなのか、その時は自分の中で答えが導き出せなくて、結局
「あまり使われない調ですよね・・」
と答えて終わってしまったんですよね。
レッスンが終わった後も、H durがどのようなイメージなのか、考えていたのですが、既存の曲も全然ないですし、悩みに悩んでいました。
そこで、「そういえば大地讃頌はH durだったな・・」と思い出したのです。

H durは、おそらくチェンバロで弾いたらあまり美しくない響きがします。(黒鍵が多いと、平均律以外の調律だと美しくない!)
調号も多い難解な調で、なぜこの大地讃頌が書かれたのか、疑問に思いましたが、僕の中の答えは見つけられていません。
この曲は原曲がオーケストラ曲ですが、実音H durはどの楽器も得しない調ですw

僕は大地讃頌のBassパートが気に入っています。
この楽曲は「大地」という言葉が何回も出てきますが、人が生まれてきたのも大地からだし、人は大地の恵みを受けて生きられるのだし、どんなに文明が進歩しても、大地をなしには生きられない・・・・・のかなと思っています。
僕は「大地」という言葉を聞くだけで、そのような重みを妄想してしまいます。
Bassパートの、割と低い音域が、恩寵の大地を思わせる、そんな気がして気に入っています。

実は、中学生向けの合唱曲で、出だしから和音を歌わせるってないんですよね。
ほとんどの曲はユニゾンから始まります。おそらく最初くらいはユニゾンにしておかないと音が迷子になる生徒が出てくるからでしょうか。
中学生向けの合唱曲で、力強いユニゾンからdiv.しての豊かなハーモニー!ていう流れが、王道だけど好きです。
ただし、大地讃頌は、ほぼユニゾンがなく、出だしからハーモニーが組まれています。
なんだろう、ちょっと教会音楽みたいな印象があり、他の合唱曲とは違う、畏敬の念というものを感じてしまいます。

「われら、人の子の喜びはある」の箇所では、和音進行が、Ⅳ→Ⅴ→Ⅵ→からのドッペルドミナント→ドミナントとなっています。
まるで和声のバス課題みたいな単純な進行なのですが、この単純さでもって全てを語る!そんな気がします。
しゃれた進行を使わない!ていうのが気に入っていますw
この後なんですけど、Ⅴ→Ⅵという連結で、平行短調に転調します。
それでも、最初のメロディーが繰り返されているのを聞くと、mollの和音で「自分は大地に生かされているのに、大地の恵みを感謝していない自分が申し訳ない」的な気分になるんですw

ピアノの間奏の部分は、まるで映画の回想シーンみたいなドラマ性があるかなと思っていますw
意外と間奏長いんですよね。
ただ、長い間奏の間でも、ちゃんと根がしっかりしている木みたく、合唱団員がびし!とした姿勢で立っていると、それだけで絵になる気がしますw

その後も、割とシンプルな和音進行で曲が進みますが、フォルティッシモが鳴らされたあとに、ピアニッシモに急激に音量のダイナミクスが落ちます。
そう!ここで初めて遠い調に行きます。
和音連結的には、ドミナントトニックの関係はあまりないですが、声部が順次進行していく過程の偶成和音が鳴らされます。
ここの和音進行!良い!!!
これからフィナーレへのエネルギーを溜めに溜めている、そんな印象です。
そしてクレッシェンドして、またフォルティッシモに戻って、「ほめよ、たたえよ、土を」という歌詞とともに、王道の和音進行になります。

終始、ピアノの伴奏は和音の塊で動いています。
なんかこれ、威厳があって好きですw
おしゃれなオブリガードもなしに、和音で全てを語る!感があります。
ベートーヴェンも、和音だけで楽曲が進行する手法を用いますが、ベートーヴェン並みの力強さを感じます。

あー大地讃頌大好き。